08 − 原発事故で壊された、牛がいる暮らし

警戒区域指定後、20km圏内へ続く道路にはバリケードが築かれた。中にはバスを使ったバリケードもあった(2011.5.7) 当初は原発より津波が心配だった 南相馬市小高区大富地区で乳牛を飼養していた渡部浩さん(57)は、東...

07 − 俺たちは見棄てられたのか

川俣町山木屋地区で酪農を営んできたHさん。牛舎に貼られたカレンダーには出荷停止を示すマークが並んでいた(2011.4.19) 目に見えない放射能に怯える 2011年4月2日。浪江町津島地区と飯舘村にとどまっていた酪農家と...

06 − 現場任せの廃乳

燃料を売り尽くしたガソリンスタンド。入荷の見込みを尋ねても店員すら分からない状況だった。写真は宮城県名取市(2011.3.14) 困難を極めたガソリンの入手 2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0の地震と津波...

05 − 牛、生きているから戻ってこないか

今野さんを含め、津島地区にとどまっていた酪農家へ役場が状況を伝えに来ることは皆無だった。酪農家はフリージャーナリストから借り受けた放射線量計で現実を知った。当時の放射線量は今野さんの牛舎内で毎時10マイクロシーベルトを超...

04 − 逃げねばならない、それしかなかった

津島地区の民家に貼られていた家主のメッセージ(2013.2.21) 見ず知らずの避難者を受け入れる 2011年3月14日。浪江町津島地区の住民や避難民らは、浪江町役場の災害対策本部が同地区へ移ってから3度目となる夜を迎え...

03 − 津島へ走れ

人の姿が消えた津島地区。この日、雪が残る国道114号を歩く犬を見かけた。飼い主とはぐれたか、置いて行かれたのだろうか。呼んでもこちらに来ることはなかった(2013.2.21) 生乳を1週間ほど廃棄してもらうかもしれない ...

02 − 悲鳴のような鳴き声を聞くのが辛かった

日没後、JR常磐線・浪江駅近くの陸橋から市街地を望んだ。街灯以外の明かりはなく、無人となった町を暗闇が覆っていた(2011.4.20) 大気中の放出された放射性物質 2011年3月13日。東京電力福島第一発電所では前日に...

01 − 原発が危ないなんて思いもしなかった

浪江町の中心部。倒壊した家屋が地震の激しさを物語っていた(2011.4.20) 酪農で先祖代々の土地を守ってきた 2011年3月11日午後2時46分、宮城県牡鹿半島沖合を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生。 ...