燃料を売り尽くしたガソリンスタンド。入荷の見込みを尋ねても店員すら分からない状況だった。写真は宮城県名取市(2011.3.14)
困難を極めたガソリンの入手
2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0の地震と津波は東日本にある製油所や燃料貯蔵施設に甚大な被害を及ぼし、東北地方を中心に深刻なガソリン不足をもたらした。千葉県市原市にあるコスモ石油(株)千葉製油所では、地震の揺れによって液化石油ガスのタンクを支えていた支柱が破断。漏れ出したガスに引火後、複数のタンクが爆発して火災が拡大した。仙台港にあるJX日鉱日石エネルギー(株)仙台製油所も津波で被災し、11日夜に火災が発生。仙台港での火災は4日後に鎮火したが、千葉製油所の火災は10日間続き、茨城県鹿島市や神奈川県横浜市にあるJX日鉱日石エネルギーの製油所でも被災による稼動停止がしばらく続いた。
石油供給元の被災と広域停電が重なり、震災直後の東北地方ではガソリンの入手が困難を極めた。店舗は無事でも停電のために営業停止したガソリンスタンドは少なくなく、辛うじて営業を続けられた店舗でも数量を制限した販売を余儀なくされた。営業中のガソリンスタンドでは燃料を買い求める自動車の列が続き、前夜から行列ができることさえあった。買い求める人数と量に対し、供給が全く追いついていなかった。
被害の大小による温度差
福島県酪農業協同組合や「酪王」のブランドで乳製品を販売する酪王乳業(株)でも車両を動かすための燃料が不足し集乳や製造に支障をきたしていた。
本宮市に本所を置く福島県酪は県内に広く組合員がおり、酪王乳業は2007年に福島県酪の乳製品製造販売部門を子会社化して誕生した県内最大の乳業会社である。福島県内には福島県酪以外に2つの酪農団体があり、原発事故前は合わせて約500戸の酪農家が日量254tの生乳を生産出荷し、福島県酪の受託日量は159t(出荷戸数293)あった。郡山市にある酪王乳業の工場は地震による影響で3月11日から操業が停止。当時、県内で操業していた乳製品工場は会津坂下町の会津中央乳業(株)と南会津町の(有)角田ミルクプラントのみだったことから、それまでの集乳体制を見直し、県内酪農団体でプール集乳を実施。燃料の効率を優先した集乳体制が取られることとなった。しかし出荷できた酪農家は一部に限られ、大半の酪農家は自家廃乳せざるを得ない状況だった。
2012年まで福島県酪の常務理事を勤めていた角田義勝さん(65)に当時の状況を伺った。
「県内には被害の大小に応じて温度差が生まれ、工場の操業が停止し廃乳をお願いする立場としては頭を抱える毎日だった。津波や地震の被害を受けなかった地域では普段通りの作業が行われ、ライフラインも正常。絞った乳を捨てる苦労やつらさは十分理解できるが、受け入れる工場もなく集乳車の燃料もなかった。そんな中『正規ルートで売る方法がなければよそへ持って行く』と言われたこともあった。情けないというか、とても複雑な気持ちになった」
雪が降る深夜。燃料を買い求める車の列が伸びていた。福島市では列に並んでいた男性が車内で練炭をたき、一酸化中毒で亡くなる事故が起きた。写真は宮城県仙台市(2011.3.26)
集乳開始直後に出荷停止
地震で被災した酪王乳業の工場も3月17日には操業準備が整い、翌18日には51tの県産生乳が集乳されて工場へ運ばれた。原発事故による影響は先が見えなかったが、福島県酪では集乳再開に安堵する声が出始めていた。19日には52tの生乳が搬入され、震災から8日目にして生産ラインが稼動し乳製品がパック詰めされた。しかしその後、製品は流通に乗ることなく全て破棄されることとなった。
同日午後4時、テレビ中継された国の原子力対策本部による発表で、16〜18日に川俣町の酪農家から3回採取した原乳から最大値で暫定基準値のおよそ5倍にあたる1,510ベクレル/kgの放射性ヨウ素131が検出されたことが公表されたのだ。
福島県酪本所のテレビで政府発表を見ていた角田さんはその日、県の畜産課で「これから大事な発表がある」と話し掛けられたことを思い出していた。
「あの大事な話とはこれのことだったのかと、テレビを見て初めて知った。政府による発表は全くの頭越し。川俣町で検査が行われたことも知らされず、事前に国や県からの連絡は何もなかった。前日に集乳が再開されたばかりだったので職員や組合員のショックは相当大きかった。集乳は中止し、動き始めた工場もストップ。政府発表後メディアが押し掛けてきたが『われわれだって何も知らない』としか答えることができなかった」
厚労省は17日、食品に放射能汚染の暫定基準値を初めて設け、数値を上回る場合は出荷停止や販売中止を行うよう都道府県へ通達を出していた。乳製品の暫定基準値は、放射性ヨウ素は原乳1kgあたり300ベクレル、牛乳は1kgあたり100ベクレル。放射性セシウムは牛乳1kgあたり200ベクレルというものだった(現在の基準値は牛乳1kgあたり放射性セシウムが50ベクレル)。県は国の発表を受けて川俣町からの原乳出荷を自粛するように関係団体へ要請するとともに、緊急モニタリング検査を37市町村で同日中に実施。この検査でいわき市と新地町、飯舘村と国見町の原乳から暫定基準値を超えるヨウ素131が検出されたことから、国は21日に福島県知事へ県産原乳の出荷を「当分の間控えるよう、関係事業者に要請する」ことを指示した。
角田さんは再び廃乳処理に頭を悩ませることになった。
「県内の酪農家は再び自家廃乳せざるを得ない状況となったが、これは国による出荷制限措置によるもの。今度は事前に補償が出ると分かっていたので、各農家の温度差をさほど感じることはなかった。しかし捨て場に困った農家からは以前にも増して『なんとかしてくれ』という声が寄せられ、組合対応が求められた」
戸惑う消費者
このころ、農水省から出荷停止中の各関係団体へ強制乾乳を推奨する通達が出されたが、廃乳方法に関しては「自己所有の草地に散布するなど、周辺の住民や環境に悪影響を与えないように適切に処理してください」とあるのみで、農家任せであることは以前と変わらなかった。
「農水省からは穴を掘って、などの指示があったけれど、それすら農家にとっては大変なわけよ。牛乳は空気に触れると膜が張るため、土中に浸透せずにプール状態になる。だから乳量が多い人ほどでかい穴を掘らないといけないし、膜が張ったら浸透しないから、また捨て場の穴を掘らないといけない状況だった」
酪農家の負担軽微と環境汚染を防止する観点から、福島県酪は生乳を産業廃棄物や一般廃棄物として処理することを国や県に要請する一方、処理費用の試算を始めていた。しかし廃棄物処理業者から提示された試算金額は1ヶ月あたり2億6300万円と巨額だった。当時は原発事故による損害補償がどこまでの範囲で支払われるのかはっきりしなかったため、業者への廃乳処理委託は見送られた。福島県酪が負担するにはあまりにも大きすぎる金額だったのだ。
23日には茨城県産の原乳も出荷停止となった。19〜21日に河内村と水戸市の農家から採取された原乳から暫定基準値を超えるヨウ素131が検出されたのだ。
同日、酪王乳業の工場では岩手県産の原乳を31t受け入れ、止まっていた生産ラインを動かす判断を下した。酪王乳業では職員総出でパッケージに記載されていた産地表示箇所に手作業でシールを貼るなどの対応がとられた。生産量が限られていたこともあるが、これまで福島産にこだわった乳製品の販売がなされてきたこともあり、県外出荷は大きく減少。販売は再開したものの消費者の反応は複雑で、”福島の牛乳”といったブランドイメージが災いしたのか、県内での消費も売り出し当初は敬遠される状況だった。
4月2日。浪江町津島地区と飯舘村で福島県酪協と組合員との話し合いが持たれた。福島県酪からは代表理事組合長の但野忠義さん(65)や角田さんら6~7名が現地に赴き、津島地区や飯舘村に残る酪農家と膝を突き合わせて今後の対応が協議された。角田さんを含む幹部職員が津島地区へ入るのは震災後初めてのことだった。
*年齢は当時(記事執筆は2013年6月)