5年ぶりの知事との面会

– 2019.9.23 –

・石木ダムが計画されている川原地区全景。水没予定地とされる石木川のほとりには現在13世帯が暮らす



雲ひとつない青空の下、一台の大型観光バスが長崎県川棚町の川原(こうばる)地区を出発し、長崎県庁へ向かった。
バスに乗っていたのは県と佐世保市が計画する石木ダム事業の水没予定地域に暮らす13世帯の方々で、県庁では中村法道知事との面会が予定されていた。
石木ダムの計画予定地に土地を有する地権者と知事が公的な場で面会するのは5年ぶりのことで、普段着姿でバスの乗車場所に集まった地権者は、どこか緊張した面持ちに見えた。

・9月19日早朝、普段着姿で集まった川原地区の住民

・この日、元滋賀県知事で参議院議員の嘉田由紀子さんも応援に駆けつけた

・バスでの移動中、石丸夫妻が自身の発言を確認していた

・地権者の中島昭浩さんがダム中止を願いながら亡くなった両親のことをスマフォで綴っていた

・川原地区に暮らす松本マツさんは今年92才になる。様々な思いを胸に県庁へ



川原地区に石木ダムが計画されたのは、今から半世紀以上も前になる1960年代のこと。
当時、県は佐世保市の海岸部を埋め立てて大規模な工業団地を造成する計画を進めており、完成後は大量の工業用水が必要になるとの判断で、佐世保市に隣接する川棚町を流れる石木川が建設適地とされた。

石木川が注ぎ込む川棚川は県が管理する二級河川で、大村湾の河口から上流約2.7キロのところで石木川は合流する。
町役場や商店などは川棚川下流に集中し、町の中心部から石木ダムの予定地となった川原地区までは、車でわずか10分ほどだ。
ダム建設地は過疎化がつきまとう人里離れた場所といったイメージだが、石木ダムに限れば、とても利便性の高い地域だと言える。


立案から間もない1962年、県は町や地元住民に報せることなく、石木ダム建設を目的とした予備調査や測量を実施しようとした。
しかし寝耳に水だった地元から抗議の声が上がり、県は調査を断念することになる。

それから10年後、再び県は現地で予備調査を計画。
今度は事前に町や地元住民へ相談するかたちで話しが進められ、県による予備調査が川原地区で行われた。
予備調査の実施にあたっては、川原地区を含む3つの地元自治会と県のあいだで覚書が交わされ、両者の立会人となった町も、立会人としての約束を履行する覚書を地元自治会と交わしている。

・地権者が保有する県と地元自治会で交わされた覚書の写し

・立会人となった町と地元自治会と交わされた覚書の一部


県との覚書には『乙(長崎県)が調査の結果、建設の必要が生じたときは、改めて甲(地元自治会)と協議の上、書面による同意を受けた後着手するものとする』とあり、この約束が破られた場合は町も県に抗議し、『長崎県が覚書の精神に反し独断専行或は強制執行等の行為に出た場合は乙(町)は総力を挙げて反対し作業を阻止する行動をとることを約束する』という強い言葉でダム建設を認めないことが記されている。

石木ダムの中止を望みながら川原地区に暮らしている13世帯の方々は、今も覚書が交わされたことを忘れてはいない。
しかし県は覚書について「法的拘束力はない」などと主張し、約束の反故を続けている。
県と足並みを揃えて事業を推進している町も、現川棚町長の山口文夫氏が町議会で「調査をするために結んだもので、現時点で効力はないと考えている」と過去に答弁。
県や町が予備調査の段階から住民を欺く意図があったかどうかはわからないが、現実は調査実施を受け入れた住民を行政が裏切っており、権力に対する地権者の不信感は行政自らが招いたものといえる。

石木ダムの総事業費は建設費と関連事業費を合わせて538億円とされ、ダムの水を利用する佐世保市の負担額は353億円に及ぶ。
工期の遅れなどで事業費はさらに膨れ上がる可能性があり、ダム完成後は維持費という負担が今後ずっと続くことになる。
当初は工業団地造成のために立案された石木ダムだが、その後、工業団地の誘致計画は頓挫。
広大な埋め立て地は「ハウステンボス」に姿を変えた。
それでも佐世保市は1996年などに起きた渇水などを理由に挙げ、石木ダムに固執し続けている。
当時の水不足は佐世保市だけで起きたものではなく、九州北部から関東地方まで雨量不足による渇水に見舞われている。
行政として市民の暮らしを守るのは大切なことだが、一人あたりの給水量は減少傾向にあり、現在と1996年当時を比較すると約2割も取水量が減少している。


上記グラフは佐世保市水道局が2012年に石木ダム事業再評価検討委員会で提出した水需要予測資料を元に、市が提示した需要予測と実績値を視覚的にわかりやすいグラフにしたもの。
市の予測は実績と大きく乖離しており、石木ダムの必要性を訴えるためにこのような数値が考えだされたと思わざる得ないほど、合理性に欠けた不自然なものだ。

この水需要予測資料を作成した当時の市水道局事業部長は、地権者たちが訴えている事業認定取消訴訟の証人尋問(長崎地方裁判所・2018年12月25日)の場で、原告側から予測の根拠を尋ねられても「覚えていない」などの答えに終始し、増加する水需要予測の裏付けを証言することはなかった。

佐世保市に暮らす方々は自分たちの水問題のために川原地区13世帯の土地が奪われることをどう思っているのだろうか…。
人口減少の流れは佐世保市も例外ではなく、今後はさらに加速することが予測されている。
税金や人的リソースは、必要性が疑問視される新規ダム建設に投じるのではなく、今後に備えて老朽化している上水道管などのインフラ整備に充てるべきではないのか。
それでも水が必要であるなら、佐世保市が保有する水源施設に改良などを施せば、石木ダムの完成を待たずに水源増となることが地元住民からも指摘されている。

佐世保市の水需要実態については、水源開発問題連絡会の嶋津暉之氏による資料を参考
http://suigenren.jp/wp-content/uploads/2018/07/ccfbd37d2a349bf49c35de9158767947.pdf




午前9時40分、川原地区の住民を乗せたバスが県庁に到着。
バスから降りた住民は支援者に見守られながら県庁へ入り、県職員の案内で建物3階にある会議室へ通された。

この日の面会は普段着姿で行くことを住民たちは前夜の話し合いで決めていた。
抗議活動中などに着用する「石木ダム反対」「強制収用反対」と書かれたハチマキやゼッケンは、ダムに反対しなければ川原地区に暮らし続けることができない住民たちの存在証明そのものでもある。
それら汗が滲んだ皮膚同然のゼッケンを脱いだのは、一人の人間として知事に向き合いたいという、住民一人ひとりの決意の表れでもあった。

住民たちが会議室に入ると、すでに知事は正面に着席しており、知事の両脇にいた河川課長や国土交通省から出向している土木部長なども椅子に座ったままだった。
知事の後にも県職員の姿があり、住民たちは若い世代から前方に座り、4才から92才までの男女40人余が知事と向かいあい、冷静にそれぞれの思いを訴えた。

面会が設定された9月19日は強制収用の手続きがされていた土地の明け渡し期限とされ、この日の24時をもって、石木ダムに反対する13世帯が所有する12万平方メートルもの土地の所有権が事務的な登記手続きのみで住民から国へと移された。
13世帯は土地の明け渡しに反対しており、全世帯が補償金の受け取りを拒否している。
そのため土地や財産の権利委譲で発生した補償金は法務局に供託され、土地の売買などで生じる所得税などは供託金から今後引かれることになる。
地権者は一銭も受け取らないが、補償金は所得とみなされることから健康保険料や介護保険料などの支払い金額は増え、年金のみで生活している地権者は支給額が下がり、負担増となる。

4年前にも石木ダム建設のために地権者の岩永サカエさんの他、3世帯が所有する農地の一部が強制収用されている。
この時も地権者は補償金の受け取りを拒否し、法務局に供託された。
事情を知らない者から「金目当て」「ごね得」と今でも言われることがあると、岩永サカエさんが教えてくれたことがある。
地権者はリスクを負ってまでダムに反対し続けている。
それでも同じ町に暮らしていながら地権者の思いを知らない町民がいることが「もどかしくて〝はがいか(長崎の方言:腹立たしい・歯がゆい)〟」と岩永サカエさんは嘆いている。
この悔しさは川原地区に暮らす住民に共通する思いでもある。

・2015年には4世帯の農地などが強制収用された。所有権は国土交通省に移され、事業完了後に県などへ移される

知事との面会では、小学3年生の炭谷沙桜ちゃんも自身で考えたメッセージを読み上げた。
事前に両親から面会の話しを聞かされ、3人きょうだいの長女として知事に手紙を渡したいと思ったという。
前夜には大きな声で話す練習を自宅で行い、読みやすい大きな字で手紙を綴った。

母親の広美さんはそんな娘の姿を頼もしく思う反面、子どもたちを面会の場へ連れていくことを最後まで悩んでいた。
子どもを利用していると思われるのではないかと心配していたのだ。
それでも最後は子どもたちの意志を尊重し、川原地区に暮らす住民の一人として扱った。

・炭谷沙桜ちゃん(8)が綴った知事への手紙

・父の潤一さんの隣で手紙を読み上げる炭谷沙桜ちゃん。母親の広美さんが後の席から心配そうに娘をみつめていた


炭谷沙桜ちゃんは手紙を読み始める前から表情を崩し、涙をこぼしながら、一節ずつメッセージを読み上げた。
翌日、普段通りに学校へ行くとクラスの同級生から「泣き虫」と言われ、集まってきた友だちから「なんで泣いてたと?」と質問攻めにあったという。
発言の様子がテレビのニュースで大きく扱われ、翌日の長崎新聞には炭谷沙桜ちゃんの写真が大きく掲載されていた。
子どもたちは純粋に好奇心や疑問心から発した言葉かもしれないが、炭谷沙桜ちゃんは「すごく嫌だった」と教室での心情を恥ずかしそうに話してくれた。
それでもメッセージを読み上げたことは後悔していない。
残念だったのは、知事がそのあいだずっと下を向いていたことだ。
父の潤一さんは「オイの娘が必死に思いを伝えているのに、なんで知事は顔を上げなかったのですかね。メモば取るような話しじゃなかでしょ。娘の目を見て、思いを受け止めて欲しかったですよ」と、知事の姿勢に憤っている。

・面会中、中村法道知事(前列中央)は終始下を向き、発言する住民の顔を見ることはほとんどなかった

・高校2年生の松本晏奈さんも大人に混ざって、自身の思いを訴えた


面会は予定の時間を超過し、2時間以上に及んだ。
会議室で知事と向き合った住民たちは一様に厳しい表情をしており、訴えに涙を滲ます人もみられた。
知事は椅子に腰かけながらメモを取り続け、発言者を正面から見据えることがほとんどなかった。
メモは後列や両脇に座る県職員に任せ、あの場は最終判断の決定者として住民に向き合うのが知事としての役目ではないのか。
住民は一人の人間として面会の場へ足を運び、怒鳴ることも、感情に任せて乱暴な言葉を発することもなかった。

・知事との面会を求め続け、5年ぶりに実現した面会の場。しかし住民の表情は厳しく、住民の大半が県側の姿勢に失望していた


発言の機会を与えられた住民の石丸キム子さんは、元県職員の立場から発言。
抗議の座り込みを続けるダム関連工事現場へ派遣される若い県職員を気遣い、彼らが誇りを持てる仕事をさせて欲しいと訴えた。
「私たちだけでなく、県職員のことも考えられたことありますか?毎日暑いなか立っておらすですよ。県職員の方とお話することも多く、そのなかで本音も見えます。仕事だから彼らも表向きでは〈出ていって下さい〉と言いますが、しかしね、私たちの故郷を思う気持ちはわかってらっしゃるんです。あれが本来の職員の仕事じゃないでしょ、職員が誇りを持てる、県民のための仕事をさせてください。あのままじゃ、県職員も病気になりますよ」

途中、石丸キム子さんは「知事、顔を上げてください」と住民の思いを代弁するかのように知事の姿勢をたしなめた。
事前に用意した文章にはなかったが、知事の態度にやるせなくなり、思わず口から出てきたという。
指摘された直後は顔を上げた知事も、その後は再び下を向き、メモを取り続けていた。


・面会最後の訴えが終わると、会議室にいた住民一同がダムを見直して欲しいと知事に向かって頭を下げた

− 記録・制作 こうばる住民&石木川まもり隊 −


5年ぶりとなる知事と住民の面会は大きなトラブルなどもなく、2時間弱で終了した。

知事と面会した川原地区の住民は、面会最後に全員が県に向かって頭を下げた。
内心は知事の姿勢に憤りや怒りで爆発寸前だったと思うが、それでも声を荒げることもなく、冷静に言葉を発し、思いを伝えていた
上記映像は住民側が面会の様子を撮影したもので、面会時の発言が記録されている。
会議室の雰囲気もあわせ、ぜひ住民の訴えを聞いて欲しいと思う。


面会終了後、住民たちは再びバスに乗って川原地区へ戻っていったが、バスがまだ県庁の敷地にある時間帯に知事はぶら下がりの会見に応じている。
翌日、会見現場にいた某テレビ記者に様子を伺うと、記者からの最初の質問に答える形で知事は「事業全体を進めていく必要があるということを改めて感じた」とコメント。
面会直後に事業推進の言葉が出てきたことも驚いたそうだが、それよりも「改めて」という言葉の使い方に絶句したのこと。

面会翌日の長崎新聞紙面(社会面)に知事の一問一答が掲載されたので紹介したい。
この記事では「事業を進めて行く必要があると感じた」と記載され、「改めて」という言葉が省かれているが、他紙やテレビニュースでは「改めて」との発言が報じられている。
中村法道氏は涙ながらに訴った住民の言葉をどんな思いで聞き、これら一連の発言をしたのだろうか。

帰宅後にテレビニュースなどで知事の発言を知った住民の気持ちを思うと言葉がない。

– 2019年9月20日発行の長崎新聞紙面から –


面会翌日、地権者を訪ねて面会を終えた今の心境を伺った。
話しを聞くことができたほぼ全ての方が知事の態度に失望しており、面会直後の知事発言に憤っていた。
それでも現状を悲観しておらず、この土地を離れることは考えられないと話していた。

強制収用の手続きを進めて土地の明け渡しを求めた県や知事は、川原地区に暮らす若者から高齢者までの思いを見誤ったのではないだろうか。

「ここに住み続けることがオイたちの抵抗だ」だと語る住民の覚悟は揺るぎないものだ。
石木川のほとりに暮らす13世帯、50人余の方々は、けっして諦めていない。


炭谷潤一さん・38才)
オイたち若い世代が「ここに住み続ける」と言うことが大事だと思い、あの発言になりました。それと、ダムのおかしか計画を訴えることも必要ですが、強制的に土地を奪われるというのは人道上許されず、人権問題なんです。だから「ダムの必要性などどうでもいいです」と言いました。帰宅後、夕方のニュースで知事の発言を聞きましたが、オイや娘たちが必死に伝えた思いはなんだったというか、知事に対してガッカリというか、冷ややかな感じで見るしかなかったですね。知事がどう思ったかはわかりませんが、オイたちの思いを素直な気持ちで受け止め、考え直す一条になればよかですが。

炭谷広美さん・33才)
川原地区に嫁いできて9年ですが、ここで3人の子どもを産み、育て、暮らしているうちに、今では心から安心できる場所になりました。地域を大切に思う気持ちは年数だけじゃないんです。県との交渉の場に参加したのは今回が初めてでしたが、嫁いでから築けた人間関係や親しんだ自然環境は壊したくないし、この先もずっと守っていきたいです。

炭谷猛さん・68才)
オイたちの話を本当に知事は聞いてくれていたのか疑問だった。人の話を聞く態度ではなかった。翌日の新聞を読んで、やっぱりそうかと知事たちに失望した。地元がキチッと団結し、それを支持した民意がオイたちの背中を押してくれている。だからこれまで権力に対峙することができたと思っている。これからはさらに結束を固め、世論に訴えてかけていく。

岩下和雄さん・74才)
知事の発言を聞いたが、オイたちの話を全然聞いとらんね。オイたちの将来のことを話し合うと知事は言っていたが、県は勘違いしてなかね。オイたちは絶対に諦めない。

岩下すみ子・70才)
面会は身体の具合が悪くて行けなかったが、県の態度はおかしか。みんながどんな思いで県庁へ足を運んだか、それがわかっていたらあんな発言にはならんでしょ。全国放送で、あのおかしか知事の発言を流して欲しかですよ。

岩永サカエさん・79才)
20才で嫁ぎ、ここで暮らし、機動隊の強制測量があったのが50代。力の強か男たちにごぼう抜きされても負けなかった。「殺すなら殺してみろ、来るなら来い」と思っとりますよ。そげん意気込みで、怖くなか。2015年に4世帯の畑が先に強制収用され、私の畑も県に盗られましたが、その畑で小豆やニンニク、生姜を今でも作っていますよ。川原地区は一心同体、地域のつながりが強いでしょ。一人じゃない。死ぬまで、ここを動きません。

石丸勇さん・70才)
昨日の面会ですが、知事や県職員の態度は人の話を聞く姿勢ではなかったですね。ただ座ってこっちを向いているだけでしょ。思いが届いた実感がない。涙を流して話している人がいるのに、はじめから結論ありきのように、私たちを徹底的にイジメてやろうという感じにしか思えませんでしたよ。

石丸キム子さん・69才)
これまでの経緯や知事の態度を考えると怒りしかありませんでしたが、昨日は気持ちを抑えて穏やかに話しました。面会後の会見で知事は「事業を進めていく必要があると改めて感じた」と話したそうですが「改めて」って何ですか?私たちの話を何も聞いとらんね!何のために県庁へ行ったのか、知事はわかっているのでしょうか。私が話している最中も知事はずっと下を向いていたので、我慢できずに「顔を上げてください」と言いましたが、面会後の発言を聞いて、負けてなるものかという思いが益々強くなりました。

川原房枝さん・78才)
ほんの少しは期待していましたが、自分の言葉やみんなの話がやっぱり知事には届かなかったなと、今は思います。強制収用された土地の明け渡しを迎えましたが、気持ちは変わりません。これまでと同じ暮らしをしていくだけです。県は事あるごとに8割の方が協力したと言いますが、嘘の説明で出ていった人たちも県に騙された被害者だと思いますよ。

木本経子さん・62才)
地権者の皆さんは気持ちを込めてしっかり伝えているのに、知事は顔を上げようとしなかった。あれは対話をする態度ではないですよ。紙切れ一枚で土地を取り上げておいて、知事は他人事なんですか?帰宅後にニュースを見て、夫とふたりで驚き、腹が立って仕方なかったです。

松本マツさん・92才)
人間が少なくなっているのに、なんで今ごろまでダムが続くのかね。むなしか。みんなでダム小屋に集まり、ダムを造らせないと一緒に頑張っていたのに、ひとりふたりと亡くなってしまったね。なんで止まらなかと考えますよ。我が身に受けてみないと、この辛さはわからんのかね?知事には筋書きもなく、言いたいこと話しました。今までここで生きてきて、こんなに良かとこはない。みんな仲良くて、花が咲いて、綺麗かところだと思います。ダムはできんでしょうね。ここで笑って暮らすのが一番良か。

松本昭弘さん・71才)
知事は真面目に考えてなかじゃないですか。5年前に会った時はもっと顔ば上げていたと思う。真剣味がなかったですね。帰宅後に知事の発言ば聞いて、ガッカリして気が抜けた。オイたちは絶対に出ていかん。

松本順子さん・62才)
うちは川原地区で一番の大家族。9人家族で、ここを出て行くことは考えきらん。鉄工所も辞めざる得ない。この土地を離れるということは、生活基盤を失うことでもあるんです。うちは家族内での会話が多く、隠し事がない家庭。だから息子や孫が知事に話した言葉は普段から話していることばかり。家族の思いを代弁しているような、しぜんに出てきた日常の言葉なんです。でも、知事はずっと下を向いていたでしょ。まるで壁に向かって話しているように見えて、悲しかったですよ。

松本好央さん・44才)
自分たちと同じ経験を子どもたちにはさせたくない。そのためにも全国の目が必要で、今の現状を一人でも多くの方に知ってもらいたい。昨日の面会は情に訴えてもすぐに変わることはないとは思っていましたが、これまで地権者の思いを伝える場がなかったので、冷静に伝えられる場そのものは評価しています。だけど、知事は娘が話した時も顔を上げてくれなかった。帰りの車内で、娘はそのことを気にして、気持ちが届かなかったかもしれないと悲しんでいた。知事は面会後の会見で事業の必要性を話していましたが、知事に心があったから、顔を上げることができなかったと思いたいです。

中川賢助・71才)
県はなんとも思っていないという感じ。最初から我が訴えが関係なかごとで、あの発言でしょ。いっちょも会おうともしなかったのに、知事は5年前から聞く姿勢は持っていなかった。向こうは今回も形式的に会っただけでしょう。

中川良子さん・70才)
私も県に勤めていましたが、上司の命令は絶対で逆らえないでしょ。私たちが座り込んでいる現場には若い職員が来ていますが、彼らが可哀想ですよ。仕事だから嫌でもここへ来ないと仕方なかですもんね。座り込みをはじめて5年が経ちますが、知事は一度も現場へ来ていない。本来は職員に任せず、知事がここへ来て私たちを説得するべきでしょ。

岩下秀男さん・71才)
5年ぶりに知事と会ったが、普段とは違う表情に見えた。オイたちの訴えを人間的には感じていたとは思う。ばってん、行政の板挟みで苦しんでいたかもしれないね。ダム問題を先延ばしにすると、益々ダムが要らんごとになるし、オイたちを苦しめるだけたい。勝手に土地を奪って出ていけっていうのは、許せない。オイはこのまま暮らしていくだけたいね。

岩下久子さん・70才)
嫁いできて47年。難しいことは言いきらんので、毎日の座り込みのこと、抗議活動をしなければいけない思いを知事に話しました。多少は期待して夕方のニュースを見ましたが、知事の発言を聞いてがっかりした。伝わらないのではなく、最初から聞く気がなかった。〝はがいか〟では済まないぐらいの気持ちです。子どもから年寄りまで、あれだけ話したのに…。知事の発言からは、人の心が感じられなかったですね。

中島昭浩さん・56才)
椅子に座りながら知事をずっと見ていましたが、下を向いているばかりで、こちら側を見なかったのが残念です。直視できなかったんですかね。知事に会うのは5年ぶり。少しは期待していましたが、ニュースで知事の発言を聞いて言葉が出てこなかった。地権者を人として見ていないのではないか。他所へ行きようもないですし、ここに住み続け、田畑でこれからも米や野菜を作ることがオイの抵抗だと思っています。

岩本宏之さん・74才)
知事は私の気持ちをわかってくれたと思う。立場上、言えないこともあると思うが、私らの気持ちを理解してくれてもいいのではないか。そう思いたいですね。人間の心を持って、住民の思いを受け止めなければ…。それが知事の役目でしょ。若者たちも私たちの気持ちを受け継いで発言してくれたと思う。強制収用の裁決までの動きは予想をしていましたが、でも私らは変わらんですよ。土地を明け渡す気持ちはなく、このまま住み続けるだけですから。

岩本菊枝さん・70才)
面会後の知事発言を聞いて、やっぱりあれだけ訴えても届いていないことが虚しかですね。誠意を感じられず、知事は心がなか人だなと思いましたよ。面会の時に膝を交えて話したいと言っていましたが、その前に座り込み現場へ来て、ここの実態を全部見てから言って欲しかったですね。もうすぐ川原地区に嫁いで50年ですが、ずっとダム・ダム・ダムですよ。心が休まる日がなか。これからもここに住み続けますが、静かに暮らしたかです。

岩永正さん・67才)
知事に対していろいろ喋ったけれど、知事はほとんど下を向いていたからですね。いったいどういう気持ちだったんですかね?もしかすると、後ろめたさから私たちの方を見きらんかったからかなあ。そう思いたいですよ。ちょっとは期待していましたが、やっぱり事務的に聞いただけでしたね。あそこまで酷いとは思っておらんでしたよ。

岩永信子さん・63才)
知事は下ばっか向いて、面会の時をやり過ごしていただけ。目と目を合わせてじっくり私たちの話を聞かんば!おかしかでしょ。機動隊が強制測量にやってきた時は26才。もうすぐ64才ですが、ダム阻止という異常事態が、ここでは当たり前の日常なんです。ゆっくりしたことがなく、これまでの月日は言葉では言いあらわせん。考えは変わらず、これからも(ダム関連工事現場で)座り続けるしかないと思っています。

川原千枝子さん・71才)
涙をぬぐいながら、孫やみんなの話を聞いてました。知事に思いを伝えた孫はソフトボールの練習で今は精一杯ですが、子ども時代に遊んだ川原地区の自然や環境を今も大切に思っていると知り、嬉しかったですね。県は私たちの土地を取り上げようとしているが、いまからどこへいくね?ここ以外、良かところなんかないでしょ。この先もずっとここに暮らしていきます。

川原伸也さん・48才)
家や土地がオイたちの名義じゃなくなり、県庁で知事と会うことになったと、親として子どもたちに話した。2人の娘も一緒に行きたかと言ってきたですよ。子どもなりに伝えたい、その場に居たいという思いがあったのでしょう。親として、娘たちの気持ちを尊重した。上の娘が「ダムを造らないでください」と言いながら知事に手紙を渡した際、知事は目を合わせなかったですよ。話をしている時も、ずっと下を向いていて〝はがいか〟。オイどんたちをどんな思いで見ていたのか、誠意が感じられなかった。子どもたちは怖かったと思うんですよ、勇気を奮い立たせてあの場で発言したのに「大人の態度としてどうなんだ」と、怒鳴りたかったぐらいです。子や孫にこの場所を残し、穏やかで普通に暮らすことが大切だと、オイどんは思います。今も大切な家族と暮らせて幸せですが、木を伐採したり、山を重機で削る音を聞いたり、県職員の姿を見かけると、無意識に眉間にシワが寄ることもある。本当の幸せがどんなものか知りませんが、ここではダムがなくなることがその一歩だと思います。


拙著『石木川のほとりには(パタゴニア刊)』は、川原地区に暮らす13世帯への理解を深める目的で、住民の日常や思いを写真と文章で紹介したものです。パタゴニアの直営店やネット通販で購入可能。石木ダムや13世帯のことをもっと知りたいと思われた方は、手にとって川原地区住民の言葉に思いを寄せていただけたら幸いです。