水を配り、気づいたこと

– 2019.9.11 –

北海道の胆振地方を震源とする「北海道胆振東部地震」から今月6日で1年が経ちました。
震源地に近い厚真町では震度7を観測し、町内いたるところで大規模な山崩れが発生。
空からその様子を捉えた映像に驚いたことを今でも憶えています。
この地震による影響で、北海道では国内初のブラックアウト(全域停電)が起こっています。
停電は地震の被害がない地域まで及び、解消まで45時間ほど要する事態に。

停電時に使えなくなるのは、電気だけでありません。
ポンプが稼働できずに上水道が機能不全となり、予備電源装置を備えていないガソリンスタンドも営業停止。物流が止まることでスーパーやコンビニの棚から食料品などが消えるなど、日常の暮らしに欠かせないモノが手に入らない事態になります。

北海道で地震が起こる2日前には台風21号が西日本に襲来。
台風は紀伊水道を北上し、関西電力管内で延べ220万軒に及ぶ停電被害をもたらし、生活や経済に深刻な影響を与えました。


そして今月8日には、台風15号が関東地方へ上陸。
9日には本州を離れて太平洋へ抜けて行きましたが、台風通過時の強風によって各地で建物の屋根や壁が崩れ、電柱が折れたり、電線が切れるなどの被害が多発。
君津市では2基の送電用鉄塔が倒壊する事態となりました。
東京電力管内での台風に起因する停電では過去最大規模で、千葉県では今も広域に渡って停電が解消せず、災害復旧の障害にもなっています。
千葉日報によると11日午後4時の段階で、停電による影響のため県内11市町で計2万652戸が断水しているとのこと。

被害の全体像はまだ見えておらず、問題は現在も継続中ですが、断水で困っているというニュースを見るたびに思い出すシーンがあります。

北海道での地震や関西での台風被害と同じ年の7月、西日本豪雨で被災した地域をボランティア活動で訪ねた時のことです。



豪雨被害に見舞われた地域は断水で困っていると知り、親しい酪農家から4トンのダンプカーと巨大な水タンクを貸してもらい、友人とともに個人的な活動として水を配ってまわりました。
水タンクの容量はあわせて2.5トン弱。
愛媛県西部の土砂災害や浸水被害に遭った地域を巡りながら、後片付け作業中の人を見かけるたびに声をかけ、その方が希望する量の生活用水を玄関先まで届けました。
水タンクを複数持っている方もいましたが、声をかけた印象ではちゃんとした水タンクを用意できた人は少数で、行政や水道局が支援物資として配布した簡易水筒を持っていれば良いほうでした。
そのためバケツや樽、プラスチック製の衣装ケースに水を注ぎ、後片付け作業に活用してもらいました。


現地では被災した自治体はもちろん、災害支援で派遣された自治体や自衛隊の給水車も多く見かけました。
それら給水車の多くは、避難所や人が集まる場所などで給水活動を実施。
飲用水がもらえる場所では多くの方が空ペットボトルを持参していましたが、それら水を汚れた床や洗い物に使うことは「もったいなくて抵抗がある」と話していました。
さらに高齢者を中心に給水場所から水が入った容器を自宅へ持って帰ることが困難な人が少なくないことが、水の配布活動を続けていくなかでわかってきました。


西予市野村町で出会った高齢女性は、風呂で使う大きめのタライを台車に載せて約150メートル先の給水場所へ通っていました。
本人いわく、そこでふちギリギリまで水を注いでもらうのですが、家へ戻る頃には大半が振動で溢れてしまい、わずかな量の水しか持って帰れないとのこと。
知り合いから譲ってもらったという水タンクは、半分でも重くて持ち上げられず、あまり使っていないのだとか。
そのため近所に給水場所があるにもかかわらず、土砂で汚れたモノを洗ったり、身体の汗を拭う水が無いことが一番不便だとこぼしていました。

行政を非難するつもりは全くないですが、行政などが手厚く管理している給水場所の近くで、生活用水を欲している人がいることに驚き、軽くショックを受けました。
女性から話を聞いた後、あらゆる容器に水を注ぐことしかできませんでしたが、玄関先まで届けることの大切さに改めて気づかされました。

行政のように断水が解消するまで活動を続けることはできず、個人でやれる範囲内でのささやかな活動でしたが「支援」について考える良い機会となりました。
給水車の存在はとても心強いですが、近くであっても水を貰いに行けない人がいるかもしれないと考え、声をかけてまわり、状況次第では玄関先まで運ぶ必要を感じています。