– 2019.7.31 –
入院先の病院で外出許可をもらい、日帰りで長崎県庁へ出かけた。
石木ダムの計画地に暮らす地権者や支援団体の申し入れ行動を取材するのが目的で、社会復帰のためのリハビリだと病院には伝えておいた。
早朝6時半。
病院前の停留所から路線バスで佐世保駅へ向かい、県庁へ向かう人たちと駅前で合流。
貸切バスに同乗させていただき、県庁がある長崎市へ向かった。
車窓から眺める大村湾がこれからはじまる交渉と不釣り合いなほど美しく思えた。
午前10時前、県庁に到着。
川棚町で地権者たちを乗せたバスはすでに到着しており、県庁の駐車場ではノボリやゼッケンなどの準備が進められていた。
移転し新たに建てられた新庁舎の一階には地権者のほか、ダムの受益者である佐世保市民などの姿もあり、県内各地から200名前後の人が集まっていた。
ロビーには大きく引き延ばされた福山雅治の写真が天井から吊り下げられ、写真脇に「その遺産は過去と未来を見つめている」とのコピーが添えられていた。
福山雅治は相変わらずカッコ良い。
しかし、県には未来を見つめるだけの力があるのだろうか。
地権者は強制収用の取り下げを求める要請書を携え、中村法道知事に渡すことを目的に県庁へ来ていた。
しかし県は知事の不在を理由にした通り一遍の返答に終始し、ロビー内に緊迫したムードが漂いはじめた。
県はこの間、石木ダムの計画地に暮らす13世帯の要望に応じることなく、家屋や土地の強制収用手続きを進めてきた。
今年5月には行政代執行が可能となる裁決が出され、地権者はこれまで以上の不安を抱え、抗議しなければ保たれない暮らしを続けている。
「いつまでこのような我慢を強いられるのか」
地権者の怒りは爆発寸前に思えた。
ダムが本当に必要なもので多くの人の命を救うならば、苦渋の決断も厭わないと地権者は口にする。
しかし県は石木ダム建設のために土地を明け渡して欲しいと繰り返すのみで、住民の疑問に答えようとしてこなかった。
石木川のほとりに暮らす13世帯は、全世帯が強制収用の対象となっている。
地権者ひとりひとりの考え方は様々だが、全員が明け渡しを拒み、相当の覚悟を持って県庁へ来ていた。
一方の当事者である県は、河川課長などが対応。
地権者はダムの構造を聞きに来ているのではない。
生活のすべてを背負い、政治判断を求めに来ているのだ。
対応にあたる県職員は「知事は不在」と言うばかりだった。
人の輪の後から「知事は何処へ行った」と声が上がり、東京だが詳しくは知らないと県職員は曖昧な答えを繰り返した。
「いつもこうだ」
「なぜ向き合わない」
輪の中心に向かって怒号が次々と発せられた。
石木ダム問題は県政の懸案事項になっているにも関わらず、県は今回もその場しのぎの対応をしているようにしか見えなかった。
申し入れを拒み続けている県の姿勢を間近から眺めていると、両者間で別々の言語が話されているみたいな違和感を覚えて仕方がない。
県は暮らしを奪われようとする方の覚悟に見合うだけの姿勢で、この問題に向き合っているのだろうか。
県庁を訪れた方の中には物々しい雰囲気に訝しみ、抗議を好意的に捉えなかった人もいたかもしれない。
怒りの理由を知って欲しいと思う。
ダムが造られる石木川は源流から本流の川棚川へ合流するまで6キロメートルもない、ほんとうに小さな川だ。
その川で起きていること、半世紀に渡る抵抗の歴史を知って欲しいと思う。
覚書という約束を反故にして工事を始めたのは、県自身なのだから。
強制収用の対象となった地権者たちが県庁へ足を運ぶのは数年ぶりで、ダム阻止の座り込みを始めてから初めてのことだった。
県知事が不在ならば副知事に然るべき対応をして欲しいと、地権者たちは一階ロビーから四階にある秘書課へ移動をはじめた。
怒号が狭い通路に響く。
秘書課へ通じる通路には県職員が立ちふさがり、副知事は在庁していながら「公務」を理由に要請書の受け取りを拒否し、通路を塞ぐ県職員が動くことはなかった。
「10分でよか。会ってくれんね」
それでも県職員が動くことはなかった。
副知事が対応しないことに普段は大人しい人までもが憤り、県職員に問い詰めていた。
佐世保市から参加した女性は秘書課前に座り込み、SNSで思いを吐露していた。
母親と一緒に県庁へやってきた小学生が抗議者の足元をくぐりながら最前列に現れ、目の前に立つ県職員に躊躇しながら質問を投げかけた。
しかし県職員はその場で答えず、笑って誤魔化した。
長崎県はいつまでこのような対応を続けるのだろう。
強制収用の裁決書では今年9月19日に家屋を含まない土地、家屋を含む土地は同11月18日に明け渡し期限を迎えるが、「円満な解決(中村法道県知事の新聞コメント)」を求めるならば、県はなぜ知事や副知事が要請書を受け取ることさえ拒むのか。
申し入れ行動は午前10時から午後4時まで続いたが、地権者は要請書を渡すべき立場の者との面会が叶わなかったことから、要請書を持ち帰ることを決めた。
県庁での申し入れ行動は6時間にも及んだ。
地権者が最後に懇願した〝10分間〟の面会さえも叶わなかったのだ。
翌日、メディアの報道を見ると抗議行動の受け止め方に違いを感じた。
地権者をよく知る記者とそうでない記者とで報じられ方が微妙に違っていたのだ。
〈県側は、担当課が要請書を受け取ることや庁舎内で抗議活動をしないことを、反対派の窓口となっている市民団体のメンバーと事前に確認していたと説明〉
https://this.kiji.is/528952190800200801?c=39546741839462401
上記リンク先の報道は長崎新聞だが、この記事の文末にある〈県側は、担当課が要請書を受け取ることや庁舎内で抗議活動をしないことを、反対派の窓口となっている市民団体のメンバーと事前に確認〉などから、地権者の行動に疑問を感じ、受け止め方の違いとなって現れたのだろうか。
県側の主張や経緯を報じることはメディアとしては正しい行為で、単純に非難すべきことではない。
しかし、読者の印象はどうだろう。
背景説明もないこともあり、ルール無視での抗議行動…といった印象のみがひとり歩きすることは、とても残念なことだ。
長崎新聞の同記事は「Yahoo!ニュース」にも転載され、記事に対しての書き込みには、思い込みに基づく酷い言葉に混ざって、県側のコメントを根拠にした中傷のような言葉も並んでいる。
県に申し入れ行動を伝え、窓口になったTさんに話を伺った。
Tさんによると、事前の打ち合わせで知事不在と河川課が対応と告げられていたことは事実だが、これまで知事の日程に合わせると何度依頼しても会わないの一点張りで、河川課以外の部署対応を望んでも従来から変わらずだったという。
地権者がルールを尊重しようにも、県側の拒否のために望む交渉ができない状態がずっと続いていたのだ。
そのため強制収用という事の重大さから、状況次第では副知事に会うことを考えていたという。
そのことを踏まえ、今回の行動を報じて欲しかったと思う。
県からみたら約束違反なのかもしれないが、これまで住民との約束を破り続けてきたのは県自身なのだ。
渡す予定だった要請書にはその一部が記されている。
一方的な権力によって故郷や日常を奪われようとしている人々にルールや上品な抵抗を求めるならば、県がまずその姿勢を改めるべきだと思う。