似顔絵

– 2019.7.3 –

ちょうど1カ月前の6月3日、自分の不注意から怪我を負い、佐世保市内の病院に入院する羽目となりました。

怪我をしたのは長崎県川棚町を流れる石木川のほとりで、県が計画する石木ダムの本体建設地近くの田んぼでのこと。
ダムの計画地といっても、水没予定地と言われる場所には現在13世帯の方々が暮らしており、全世帯が計画立案から今日までの半世紀、故郷を奪うダム事業に反対し続けています。
そのため今年もいつもと変わらず、あちこちの田んぼで米作りが行われています。

早朝、水が張られた田んぼを撮影するため、道路から畦へ降りようとした際に足を滑らせて転倒。
1.5メートルほどの高さから落下し、側溝に左足を突っ込んだまま、泥の中へ突っ伏してしまいました。
左足に激痛を感じて立てずにいましたが、泥まみれのまま田んぼに寝たままもいかず、両手で這って道路へ。
痛みよりも「やっちまった…」感が強く、道路脇で途方に暮れていると少し離れたところに地元の方の姿を見つけ、町内の病院へ連れて行ってもらいました。

その後、レントゲンとCT画像の結果、手術が必要と判断され、人生初の救急車に揺られて長崎労災病院へ搬送。
そのまま入院することに…。

手術は膝下を切開し、大腿骨に押しつぶされて陥没した脛骨を修復するもので、長さ13センチほどのチタンプレートと7本のボルトが脛骨に固定されました。
術後の具合は順調で、いまはまだ体重をかけられませんが、じきに膝の曲げ伸ばしから歩行訓練のリハビリへと変わります。

住民票を置いてある徳島市や長く暮らしていた東京から遠く離れた場所での長期入院。
不便さを感じたり、気持ちが落ち込んだりもしましたが、そのたびに石木ダム取材でお世話になった方々が代わる代わる見舞いに来てくれ、励ましの言葉だけでなく身の回りの心配までしてくださり、おかげでずいぶん助けられました。

今年5月21日には川原地区に暮らす全13世帯に対し、家屋や土地を明け渡すように求める強制収用裁決が下されています。
地権者は当然のごとく反発し、現在も工事現場で座り込むなど、計画の見直しを求め続けていますが、今秋の明け渡し期限後は家屋などを取り壊す行政代執行も可能になることから、予断を許さない状況です。
合理性に欠けた〝公共事業〟によって、故郷を奪われることがあってはならない。
県の判断には疑問と憤りしか覚えません。

このような大変な状況にも関わらず、オレのことを心配してくださり、なにかと気遣ってくれる川原地区の方々。
言葉にならない感謝の気持ちでいっぱいですが、同時にベットで寝ているだけの我が身の不甲斐なさに、歯がゆさと情けなさを感じています。

先日、2匹のカブトムシを連れてひとりの男の子が家族と見舞いに来てくれました。
菜の花に囲まれながら父親と一緒に散歩しているのを撮影したのは3年前のこと。
当時はよちよち歩きだった男の子も、来春にはピカピカの小学一年生です。
『石木川のほとり〜13家族の物語(パタゴニア刊)』でも触れましたが、子どもの成長する早さにはいつも驚かされ、同じ月日でも流れる時間が違うかのような錯覚を覚えます。
この子たちに楽しい未来を手渡すのは大人の役目であり、責任でもあると、オレは思います。

石木ダム事業は立案から半世紀が経ち、当初計画されていた工業用水確保の目的が消失しています。
いまは佐世保市などへの水道水供給と本流である川棚川下流域の治水対策が目的にすり替わっていますが、人口減や節水対策の普及により、石木ダムの水がなくても誰も困らない状態なのです。
さらにダム完成後は、川棚町民へ供給されている石木川にある水道水源地が失われ、石木川合流後の川棚川から水道用水として汲み上げている水質も悪くなることが危惧されています。
川棚町民も石木ダム事業は生活に直結する問題であり、けっして他人事ではありません。

オレもひとりの大人として、できる範囲でできることを行います。

石木川にダムはいりません。