5年9ヶ月ぶりにつながった線路

– 2016.12.11 –

2016年12月10日。
東日本大震災の津波被災により不通区間だったJR常磐線「浜吉田〜相馬」が開通し、5年9ヶ月ぶりに福島県南相馬市と宮城県仙台市が鉄道で結ばれました。
不通区間には4つの駅あり、このうち津波の被害が大きかった新地駅・坂元駅・山下駅は内陸部へ移設され、新駅として生まれ変わりました。この区間は津波によって線路が流失したこともあり、高架化されたところも少なくありません。

震災3日後に新地駅周辺を取材したこともあり、今朝は新地駅からほど近い場所で仙台行きの一番列車を待ちました。

1)原ノ町駅を発った始発列車。駒ヶ嶺駅と新地駅の間でバードストライクがあり、20分ほど遅れて目の前を通り過ぎていった。 2)仙台駅から原ノ町へ向かう始発列車。 3)宮城県山元町にある坂元駅近くで撮影。水平線から昇った太陽がまぶしかった。 4)福島県新地町にある新地駅はかさ上げ地に新しく建てられた。

午前中。新地駅では運転再開を祝うテープカットが駅舎前で催され、多くの地元住民が駅に集い、ホームに入ってくる列車へ向かって手を振っていました。
山下駅でも宮城県知事が参加する催しが開催され、沿線では開通を喜ぶ人の姿をあちこちで見かけました。笑顔で手を振る人たちを見ていたら、どんなに待ち遠しかっただろうかと、胸が熱くなりました。

これまでは代行バスが電車の代わりでしたが、今日からは鉄道が走っていることが”日常”です。

明日は東日本大震災の月命日であり、 震災発生から2103日目になります。
震災直後に見た光景の驚きと衝撃は、いまも心の奥深くに残っています。

上記3カット、以下写真もすべて新地駅(福島県新地町)で撮影。

新地駅での記念式典には安倍総理の姿もありました。
テープカットの直前に黒塗りの車を連ねて到着。列車がホームに入ってくるのを待つ間、現場で何度か顔をあわせた地元局のTVカメラマンと雑談を交わしたのですが〈総理参加は直前に決まったらしく、そのため催しの内容が見直され、町民だけでこじんまりと開催するはずだった祝いの場を拡大してやることになった〉ことを教えてもらいました。
雑談なので、この話が本当かどうか、確かめてはいませんが「さもありなん」と思っています。
TVカメラマン氏は「復興を政治パフォーマンスに使われるのは面白くない」と話していたけれど、同じ思いです。
しかし式典後、安倍総理はロータリを歩きながら集まった人たちにハイタッチの”サービス(アピール)”をしたのですが、それがけっこうな人気。ハイタッチできた人たちからは「触ったわよ、やったー」と喜びの声もあちこちで上がっていました。
知っている有名人がやってきたという感覚なのかもしれませんが、ハレの場の余興みたいなものでしょうか。
「普段から来ていれば共感するけれど、全く足を運んでいないのに、注目を浴びそうな時だけちょこっと来てアピールかよ」と…言いたいところですが、オレ自身も”こんな時だけちょこっ”と来ている身なので、同類ですね。

常磐線の不通区間は、福島県楢葉町の竜田駅と南相馬市の小高駅間(約68・6km)を残すのみ。政府は2020年春までに全線開通の方針を示しています。


月命日の2016年12月11日。
昨日に引き続き、福島県新地町を訪ねました。

新地駅近くの沿岸部で夜空を見上げていると、原ノ町駅を発った一番列車が光の筋となり、高架された線路を通り過ぎていきました。

新地駅に移動すると、やってきた列車と記念撮影する姿があちこちにありました。
みなさん、とても楽しそう。
「ほら、あれ、あの光っているの!」
隣の車から子どもたちが飛び出し、遠くで小さく輝いている飛行機を指さしながら叫びました。
少しずつ近づいてくる飛行機のエンジン音。期待で胸が高まります。

駅前では運転再開を祝う催しが開催され、エンジン音が轟き始めると、福島市在住のパイロット・室屋義秀さんのエアショーを楽しみにしていた人たちの間から歓声が上がりました。

2回目のフライトラストでは駅舎近くを低空で飛行し、集まった住民の方々にエールを贈っているように見えました。

真新しい駅舎前では沢山の笑顔が弾け、青空を見上げる人の姿がありました。

少年は「がんばれー」と空に向かって声を張り上げ、小さな女の子は両手を水平に伸ばし、両親のまわりをぐるぐると走っていました。

阿武隈山地から吹き降りてくる風は肌を刺す冷たさでしたが、心がほっこりました。

いつの間にか空に月が浮かび、楽しかった一日が終わりました。
今度は列車に乗って、この場所に来たいな。そんなことを思わせる2日間でした。
つながった線路、列車に揺られて、のんびりと。

不通区間の運行再開、本当におめでとうございます。