町の形見

– 2018.10.23 –

東北での取材を終えて東京へ戻る前日、帰京を一日伸ばして福島県南相馬市に滞在し、2015年4月に南相馬市小高区へ移住した作家・柳美里さんが主宰する「青年五月党」の新作戯曲『町の形見』を観ました。

公演が上演された小劇場「La MaMa ODAKA」は、柳さんが今春の2018年4月に新規オープンした書店「フルハウス」に隣接し、JR常磐線・小高駅から徒歩2分ほどの場所にあります。
元は水道屋の作業場だったという建物は、スレート屋根の簡素な鉄骨造。
出入口の反対側にコンパネ等を使って階段状の客席が作られ、砂が敷かれた床が舞台でした。

今回の公演にあわせて鉄骨の梁から吊るされた流木や錆びた鉄枠が、まるでずっと前からここにあったかのような存在感を放ち、郵便を配達するカブの音、通りを歩く人の声など、日常の音が客席まで届いてきます。
室内なのに、野外のようでもある。かつてあった暮らしの雰囲気が伝わる、そのような空間で『町の形見』は上演されました。

「青春五月党」は柳さんが18才だった23年前に自身が旗揚げした演劇ユニットで、『町の形』は復活公演第2弾としての上演です。
第1弾は本公演の1ヶ月前、県立ふたば未来学園高等学校の演劇部員たちによって上演された『静物画』で、このふたつの劇は〈物語としては別モノだが、物語のメッセージは繋がっている〉と、上演終了後にスタッフの方が教えてくれました。

『静物画』は高校生たちが演じましたが、『町の形見』は7名の俳優と南相馬市内に暮らす70代の男女8名が出演しています。
プロの俳優たちに混ざり、福島の沿岸部で東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故を実際に経験した人たちが話者となり、過去の記憶と震災時の出来事を語り演じていました。

芥川賞作家である柳さんは南相馬市へ移住する前からこの地へ足を運び、震災後に開局された臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」にボランティアで番組を持ち、南相馬に関係する市井の人々をゲストに迎え、彼らの声に耳を傾け、記憶と経験の共有を続けてこられていました。
今回の公演に出演した方々は、その番組に登場した人たちであり、『町の形見』はこのような柳さんの行いがなければけっして生まれてこなかった演劇作品と言えます。

津波や原発事故の被災地には柳さんだけでなく、これまで数えきれないほどの作家やジャーナリストたちが足を運び、それぞれの分野や方法で〝震災〟を伝え、発表し、報じています。
中には一回程度の取材で、その取材で把握した範囲で報じた方もいるかもしれません。
そのことが悪いとは全く思いませんし、出かけた回数や話を聞いた人の数で評価するのは意味のないことです。
それでもやはり思うのは、継続的に向き合い続けた者しかわからないものがあるということ。
継続することで得られる信頼によって初めて聞ける話があり、より深く理解できることは、私自身も経験しています。
住まいを小高区に移し、自身もこの地の生活者となった柳さんだからこそ、この物語をつむぐことができ、彼らが胸の奥に仕舞っていた言葉(記憶)を発するための介助者になれたのだと思います。

以下の文章は、柳さんが公演リーフレットに綴っている言葉です。

人は記憶を抱えて生きている。
生涯、生々しい感情を伴う大波のような記憶もあれば、日々の暮らしの中で繰り返されることによって刻まれるさざなみのような記憶もある。
人は、誰しも死ぬ。
死ねば、夥しい記憶の群れもまた、無になる。

上演終了後、劇作家の前田司郎さんと柳さんによるアフタートークが行われました。
この中で柳さんは〈最初は地元の人たちだけでやろうと思っていた〉というようなことを話され、会場から〈なぜプロの役者を入れようと思ったのか?〉という質問が出ました。

柳さんはアフタートークのゲストである前田さんらに役者の人選を相談し、7名の若手俳優が『町の形見』に参加しています。

観客の質問に対し、柳さんは「記憶というものは、その人が亡くなったら消えてしまうもの。記憶から抜け出すシーンをつくりたかった」と答えています。
記憶を預かる者の存在が必要だと。

物語では地元の方々による昔話を、若い役者が受け取り、まるでリレーのバトンのように記憶が引き継がれていきます。
演者である役者はときに話者へ成り代わり、彼らに変わって過去の出来事を語り始め、舞台を走り、声を震わせます。
7名の俳優は『町の形見』で演じるにあたって、3週間ほど南相馬市小高区に滞在し、共同生活をしながら稽古に励んでいたそうです。
稽古の合間には、それぞれが演じる話者の住まいや津波被災の現場へ足を運んだり、町に暮らす様々な方と話を交わしたかもしれません。
追体験で、7年前に起きた出来事に恐怖し、何度も台詞を練習し、あの日から続く様々な記憶を受け継いでいった。

その迫力が伝わる舞台でした。

 

 

話者に大柄で面倒見の良さそうな渡部秀夫さんという男性がいます。
8人いる話者のひとりです。

渡部さんは舞台に登場後、子どもの頃に海で遊んだ懐かしい記憶を語り始めました。
相馬の海で泳ぐ気持ち良さ、子ども心に感じた海の雄大さ。
脚本に書かれた台詞なのか、アドリブの言葉や記憶なのか、見ている側にはわかりません。

それで?それで?と話しの続きを促す役者に対し、ときに笑顔で語っていた渡部さん。
自然の中での遊びは、ちょっとした油断や自然の気まぐれで、人の命を奪います。
渡部さんも友人と海での遊びに夢中になり、死を意識するほど危ない目に遭ったと言います。
その大変な出来事を共に体験した友人が、津波で命を失いました。
役者から友人のことを聞かれた渡部さんは、これまでの明るい表情を一変させ、目を潤ませ、口をつぐみ、うつむきながら照明のあたる舞台から去っていきました。

津波襲来直後から行方不明者を捜索し続け、遺体となった何人もの顔見知りを見つけた渡部さん。
現実とは思えないほどの修羅場を経験していますが、竹馬の友のことになると、いまも思い出すたびに胸が苦しくなり、これまで友人のことは誰にも話しをしてこなかったと、上演後に告白されていました。

渡部さんは千秋楽を迎えた後、会場にいる人たちに今回の劇について、このような感想を述べていました。

「(公演に参加したことで)背負ってきた何かが剥がれ落ちるような気がして、すっきりした」

震災を体験していない者であっても震災のリアルを伝えることは可能で、伝える方法次第で、当事者の気持ちが楽になることがある。
そのことを改めて認識する、公演でもありました。

柳さんは〈芝居はお葬式〉だと言います。

ひとりひとりが抱える記憶を舞台というカタチで形見分けし、葬い、心を鎮める。
『町の形見』はそのような劇であり、創作を超えたリアルな場だったと思います。
小高の空気を感じる場所で上演されたことも、その会場の雰囲気と相まって、リアリズムを感じました。
舞台を見た回数が少ないので評価の分母が小さく、演劇界で『町の形見』がどのような評価をされるのか、私自身はわかりません。
それでも、この作品は様々な〝奇跡のような瞬間〟が詰まった劇であり、リアルな出来事を第三者がここまで共有できることに純粋に感動しました。

上演時間は途中10分の休憩を挟み、約2時間半ほどです。
終盤、渡部さんが再び舞台に登場し、地元に伝わる民謡「相馬流れ山」を歌うシーンがありました。

唄を聞いていると、親潮が流れる相馬の海が浮かんでくるとともに阿武隈山地から吹いてくる風を感じ、過去と現在、この世とあの世が地つづきで繋がっているような、とても不思議な感覚を覚えました。

唄もまた、記憶のバトンなのかもしれません。

23年ぶりに復活した柳美里さんの「青春5月党」を扱ったドキュメンタリーが、NHKで来月放送されるとのこと。

・11月4日(日)、午前6時15分〜NHK総合[目撃!にっぽん]
・11月18日(日)、午前10時〜NHK総合[明日へ]

興味のある方は、ぜひチェックしてみてください。

『町の形見』『静物画』が再び上演されるかどうかはわかりませんが、まだこの地へ来たことがなければ、ぜひ一度足を運んでみてみませんか。
私自身も機会をつくっては、これからも〝被災地〟と呼ばれる場所へ通い続け、謙虚に耳を傾けたいと思います。

柳さんやスタッフの皆様、そして話者や演者の皆様、素晴らしい公演をありがとうございました。