14 − 行き場を失った廃棄物の処分進展せず

菅野伸一さんが自宅近くの仮置き場を案内してくれた。もともとは畑だったが、地区内の除染廃棄物などを一時保管する場に造成。仮置き場が見つからない地区は除染作業が遅れがちだ(2012.11.28) 給餌を禁じられた飼料は放置せ...

13 − 大規模な廃棄物問題も引き起こした原発事故

加美町が保有する放牧場を造成して用意いた牧草ロールの集積場。周辺に人家がないことから、この場所が選ばれたという。あくまでも「仮」であり、先の見通しは立っていない。 規制値を超えた飼料作物が行き場を失う 東京電力(株)福島...

12 − 3ヶ月ぶりの集乳車

川内村と隣接する富岡町。無人となった町中をイノシシが歩いていた(2013.11.1) 牛舎に広がる光景に言葉を失う 東京電力(株)福島第一原発の事故後、川内村は隣接する富岡町から避難してきた住民と共に郡山市へ全村避難する...

11 − 全村避難となった川内村に牛と残る

富岡町と川内村を結ぶ県道36号から福島第一原発を望む。富岡町が川内村を避難先としたのは、町の南北に原発がある立地から西へ行くしかないとの判断が大きかった(2013.11.1) 大渋滞のなか、富岡町民は川内村へ避難 東京電...

10 − 津島から酪農家と乳牛がいなくなった日

浪江町津島地区から乳牛が運ばれた。人もまた牛と同じく離ればなれとなり、それぞれの地で避難生活を送ることとなった(2011.5.27) 桜が咲いたことも気づかなかった 5月6日。福島県各地から70名ほどの酪農家が郡山市内に...

09 − 復興とは、一体なんなのだろう

浪江駅前の新聞販売店には東日本大震災発生を報じる新聞が配達されずに積まれていた(2013.4.11) 警戒区域は3つの区域に再編 2013年5月28日午前0時。東京電力(株)福島第一原発の事故からおよそ2年2ヶ月ぶりに同...

08 − 原発事故で壊された、牛がいる暮らし

警戒区域指定後、20km圏内へ続く道路にはバリケードが築かれた。中にはバスを使ったバリケードもあった(2011.5.7) 当初は原発より津波が心配だった 南相馬市小高区大富地区で乳牛を飼養していた渡部浩さん(57)は、東...

07 − 俺たちは見棄てられたのか

川俣町山木屋地区で酪農を営んできたHさん。牛舎に貼られたカレンダーには出荷停止を示すマークが並んでいた(2011.4.19) 目に見えない放射能に怯える 2011年4月2日。浪江町津島地区と飯舘村にとどまっていた酪農家と...

06 − 現場任せの廃乳

燃料を売り尽くしたガソリンスタンド。入荷の見込みを尋ねても店員すら分からない状況だった。写真は宮城県名取市(2011.3.14) 困難を極めたガソリンの入手 2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0の地震と津波...

05 − 牛、生きているから戻ってこないか

今野さんを含め、津島地区にとどまっていた酪農家へ役場が状況を伝えに来ることは皆無だった。酪農家はフリージャーナリストから借り受けた放射線量計で現実を知った。当時の放射線量は今野さんの牛舎内で毎時10マイクロシーベルトを超...