卒業、おめでとう。

– 2025.3.27 –

東日本大震災から14年となる3月11日。
福島県浪江町で地震発生時刻の午後2時46分を迎えた後、いわき市へ移動して薄磯海岸へ立ち寄った。
薄磯海岸には当時、8メートルを超える高さの津波が襲来し、9割近くの家屋が流失や全壊するなどの被害となっている。
かさ上げされた土地に整備された園地や真新しい住宅が並ぶ現在の景色からは想像もできない被害で、犠牲者数はいわき市で最も多い。
薄磯地区にある慰霊碑には122人の名前が刻まれている。

海沿いの駐車場に車を置き、堤防越しに砂浜を眺めると、制服を着た2人の女子学生の姿があった。
砂浜には他に人の姿はなく、たたずんでいるのは彼女たちだけ。
2人は並んで海を眺めたり、写真を撮りあったりしていた。
そしてそれぞれの手には卒業証書が握られていた。

「もしかしたら震災で亡くなった方の関係者か遺族なのだろうか…」
「卒業の報告だったりするのかな…」

そんなことを想像しながら海を眺めていると、2人が帰り支度を始めた。
怪しまれないタイミングを見計らって声を掛けると、とくに驚かれることなくここへ来た理由を教えてくれた。
私の想像はよい意味で外れていた。

彼女たちはこの春に高校を卒業し、「海で卒業記念の写真を撮るため」だけに郡山市から日帰りで列車とバスを乗り継いでやって来ていた。
前日深夜の電話で盛り上がり、そのままの勢いでほとんど寝ずに来たと、笑顔で話してくれた。
もちろん、この日が震災発生日だとは知っていた。

3月11日は東北各地で祈りが捧げられ、黙祷をするために海辺へ行く人たちが少なくない。
津波被災地に暮らす人たちとの会話でも、この日は普段と違って「特別な日」だと受け止める人が多く、気持ちが「ざわざわする」という声を聞いた。
私も3月11日が来るたびに当時のことを思い出し、11日は朝からどこか落ち着かず、地震発生時刻を過ぎると不思議とホッとしたりする。
だからしぜんと薄磯海岸にいた2人も何かしら震災のことを思い、足を運んだものだと想像した。
でも、その勝手に思い描いていた想像は見事に違っていた。
彼女たちは「海へ行きたい」と思ったから、2人のタイミングが合った〝この日〟にやってきて、「海がきれい」だと思ったから記念の写真を撮って楽しんでいた。
2人の話しを聞き、すごく良いと思った。

3月11日が近づくにつれ、マスコミを中心に「忘れてはいけない」というフレーズをよく見聞きする。
災害への備えや津波から逃げることは忘れてはいけないが、遺族や被災当事者、関係者の方々は、あの日のことを忘れたくても忘れられないのが実態に近い。
心がざわつき、意識して穏やかに過ごそうと思う人たちがいることを私は知っている。
それはけっして悪いことではないが、なにもかも社会が憶えておく必要はないと、私は思う。
もちろん各人いろいろな思いを持っても良いし、悼む思いは大切だ。
ただ、私は楽しそうに砂浜で過ごす2人に出会えたことがとても嬉しく、前向きな気持ちになれた。
若者や子どもたちが必要以上に震災を背負う必要はない。
卒業、おめでとう。心の底からそう思えた。