能登半島地震の現地報告(6)

– 2024.3.20 –


先週から再び能登半島に来ています。
昨日。珠洲市宝立町の道路脇にメッセージボードを立てている方を見かけたので、車をUターンして話を伺いました。
2人は同じような看板を能登町で見かけ、地元に立てることを思いついたとのこと。
ペンキで書かれた言葉は2人で相談して考えたそうです。

「この手の看板が地元になかったので、あるといいなと思って」

彼らは珠洲市で生まれ育ち、1人は今月1日に地元の飯田高校を卒業。もう1人は県外の大学に通っており、帰省中に被災してからは家族で宝立町の避難所にいると話していました。
自宅は地震と津波の被害を受けて全壊。
彼らがこれまで支援されたボランティアは重機を扱うプロボラだけだったようです。



被災家屋の片付けだけでなく避難所にもボランティアがいないため、被災当事者である彼らが率先して動かざる得ないとのこと。
2人がしていた津波流出物の片付けなどはボランティアでもできる作業です。
一般の方でも「のと里山海道」が通行できるようになり、県窓口以外のボランティア宿泊拠点も出来つつあり、買い物や給油で被災地の店舗を利用しても現地のリソースに負担をかけることはなくなりました。
そろそろ彼らの代わりにやりませんか。