2022 こうばるの春

– 2022.4.13 –

石木川のほとりに暮らす女の子が今春、小学一年生の入学式を迎えた。
女の子の名前は、炭谷菜津希(すみや なつき)さん。
炭谷家や川原(こうばる)地区の住民は彼女のことを〝なっちゃん〟と呼び、あたたかな眼差しで成長を見守っている。

なっちゃんたちが通う小学校は石木川が川棚川へ合流する付近にあり、自宅のある川原地区からは歩いて40分ほどの距離にある。
長女の沙桜(さお)さんは小学6年生、長男の瑛治(えいじ)くんは小学4年生になった。
今学期はきょうだい3人が揃って小学校へ通学する。

— 入学式の朝。母の広美さんに髪を結ってもらうなっちゃん(2022年4月、自宅にて)—
— きょうだいで登校する炭谷家の子どもたち(2022年4月、川原にて)—


なっちゃんは2015年の8月に生まれた。
クマゼミの鳴き声が青空に響き渡るとても暑い日に誕生したので「菜津希」と名付けたと、父の潤一(じゅんいち)さんが教えてくれた。
「津」という漢字には船着場という意味があり、大村湾に面する川棚川河口にも「百津郷」という地名がある。
かつては数多くの船が行き交い、にぎわっていたという。

「菜津希という名前は夏だからというだけでなく、たくさんの人たちと出会い、希望を忘れない人になって欲しいとの願いをこめました」

なっちゃんの誕生を我がことのように川原地区の住民が喜ぶ姿を、いまでもはっきりと覚えている。
川原地区では2015年の春から石木ダムの関連工事を阻止するための座り込みが本格化し、住民は連日のように座り込みのテントに集っていた。
そのテントにもたらされた嬉しいニュース。
周囲では口々に「おめでとう」との言葉が飛び交い、笑顔の輪が広がっていった。
母の広美(ひろみ)さんは当時、「大変な時期に産まれたから、余計に集落のみんなが菜津希の誕生を喜んでくれた。それがすごく嬉しかった」と話している。
そして誰よりも沙桜さんと瑛治くんが妹の誕生を喜んでいた。

— 生まれてまもないなっちゃん(2015年8月、川棚町の産院にて)—
— なっちゃんを囲んで(2015年8月、川棚町の産院にて)—


潤一さんは川棚町で高齢者福祉のケアマネージャーとして働き、広美さんは町内にある病院で看護師をしている。
両親が共働きのため、同居する祖父母も孫たちを習い事などへ連れていくなど、なにかと面倒をみている。
子どもたちは祖父の猛(たけし)さんを「じーじ」と呼び、祖母の郁子(いくこ)さんを「ばーば」と呼ぶ。

川原地区には13世帯が暮らしているが、就職や進学で子どもが実家を離れた世帯もあり、現在小学生がいる家庭は炭谷家のみ。この5年間で川原地区では老衰や病気などから5人もの住民が亡くなり、年を追うごとに住民が減少している。
石木川のほとりに広がるこの場所に移住したいと思う方がいたとしても、ほとんどの土地が県によって強制収用されたいまでは、新たに人が移り住むのは現実的に厳しいのが実情だ。
家屋は建て替えが許可されないばかりか、行政代執行の対象になっている。
住民のひとりは「県はここから人がいなくなるのを待っているんじゃなかかね」と、社会情勢が大きく変化してもなお従来の計画を推進し続ける県の姿勢に憤っている。

— 稲刈り作業を手伝う炭谷家の子どもたち(2021年10月、川原にて)—


炭谷猛さんは2019年の川棚町議会選挙に「石木ダム反対」を訴えて初出馬し、16人が争った選挙戦でトップ当選を果たしている。
石木ダムの計画地に暮らす住民が選挙へ立候補するのは猛さんが初めてで、選挙結果を知った川原地区の住民はトップ当選に驚き、そして安堵した。
ダム問題に無関心だと思われていた川棚町の中で、ダム反対の考えを持つ町民が少なくないことが初めて可視化され、数字となって示されたのだ。
出馬を決断した当時をふり返り、猛さんは「オイ(わたし)の人生でどういうことができるのか真剣に思いを馳せ、家族と相談して出馬を決めた。苦しく辛い時ほど世間に訴えなければダメだと思った」と話す。

川棚町議会には14名の議員がいるが、石木ダム反対を明確に表明している議員は猛さんだけである。
猛さんによるとオール与党の体制は石木ダム問題に限ったことではなく、新型コロナウイルス対策費として国から各地方自治体へ配られた地方創生臨時交付金の使われ方にも〝なれ合い体質〟が現れていると指摘する。

「町は昨夏、町長を含めた三役専用の公用車購入をコロナ対策として提案。コロナ交付金から700万円支出することを大半の議員が問題だと思わず、購入が了承された。このことを議会便りに掲載することを提案したが反対された」

議会便りに公用車購入が記されなかったため、このことを知る町民は少ないという。
猛さんは町民の目線を持たない議員がいることを嘆き、町民のことを真剣に考える議会であれば、ダム計画に対しても慎重な姿勢になるはずと主張している。

— 石木ダムに反対し、付け替え道路工事場で抗議する住民(2022年2月、座り込み現場にて)—


なっちゃんの祖母である郁子さんも家事の傍ら、ほかの住民や支援者とともに石木ダムの工事現場での座り込みに参加している。
座り込みによる抗議活動はこの春で1,300日を数え、川原地区の住民は交代しながら午前8時から午後5時半までの座り込みを続けている。
雨や雪、猛暑の中での座り込みは肉体的な疲労が伴うが、いつまで続くかわからない中での抗議活動は精神的に堪えると、みな口を揃える。
それでもここで生きていくために、時代や社会が早くこのおかしさに気づいて欲しいと願いながら抗議活動を続けている。

座り込みしている川原地区の住民は子育てを終えた世代が中心で、仕事のある若者世代は参加していない。
住民の岩下すみ子さんは「わっかもん(若者世代)は、ここ(川原地区)にいること自体がダム反対(活動)たい」と理解を示し、「孫の世代に同じ苦労をさせたくなか。だから私たちが一生懸命になって、いまダムを止めんばと思い、がんばっている」と話す。

同じく座り込みに参加する地元住民も、すみ子さんと同じ思いだ。
若い世代が川原地区を離れずに、ここで子育てをする姿は心強いという。
そして、自分たちの代でこの問題を終わらせたいと強く願っている。

— 石木ダムの工事現場脇を通学する木場・川原地区の子どもたち(2022年4月、川原にて)—


石木川のほとりに今年も桜が咲いた。
桜は1981年に猛さんが植樹したもので、同年に長男の潤一さんが生まれた。
当時5才だった長女の香織(かおり)さんは弟ができたことを喜び、猛さんは家族を持つ責任の重さを実感したという。
時は春夏秋冬を繰り返しながら刻まれ、続いていく。
今春は桜が散らず、小学校の入学式まで花がもった。
こんな年は珍しいという。
この桜のように、ここで根を張り、年を重ねていきたいと、潤一さんは思っている。

— 炭谷家の桜を前に(2022年4月、川原にて)—
— 炭谷家の桜を前に(2022年4月、川原にて)—