自分たちのことは自分たちで決める

– 2020.1.23 –

20年前の1月23日、吉野川に計画された可動堰の賛否を問う住民投票が徳島市で実施された。住民投票で国の公共事業が問われた初めてのケースということもあり、徳島市での住民投票は全国の注目を集めた。

住民投票の実施を求めてきた団体や個人は、可動堰計画に対する賛否には触れず、ひたすら「ひとりひとりが選択する」重要性を訴え、実現にこぎつけた。一方、可動堰を推進してきた団体は住民意見で決めるべきではないとして、投票の棄権を呼びかけていた。住民投票の実施を審議した市議会内での折衝で、投票率が過半数に満たない場合は非開票で無効との付帯条項が決まっていたからだった。

投票日当日は時折、雪が舞う寒い日だった。それでも有権者の半数を超える人々が投票所へ足を運んだ。自分たちで物事を決めるという考え方が多くの方々に受け入られ、住民投票は成功したのだ。そして投票者の9割を超える方々が可動堰計画に反対票を投じた。

投票結果を受け、当時の小池正勝市長は旧建設省出身でありながら計画の見直しに言及。可動堰以外の代替案を検討する場つくりを住民と連携して行った。そして住民投票翌年の市長選で小池氏は「可動堰反対」を公約に掲げ、3選を果たした。住民の意向が明確に示されたことで、住民が政治の主導権を取り戻したのだった。


あれから20年が経った。
住民投票直後の徳島市や徳島県では、いわゆる市民派と呼ばれるこれまでの政治家とは違った人物が支持され、政党や議会の都合を優先するのではなく、住民の立場に立って物事を進めたりしていた。しかしそれも長くは続かず、今は残念ながら旧態依然とした政治状況に戻ってしまったかのように思える。

しかし、暮らしの主人公はあくまでも住民ひとりひとり。
それはあの頃から何も変わってはいない。
住民は地域をつくる当事者であり、担い手でもあるのだ。
政治を政治家だけに任せ、傍観者でいるのはもったない。と、思う。


1月23日。
徳島市の万代埠頭で2月1・2日に催されるイベントを告知するため、20年ぶりに「123」のプラカードが県庁前のかちどき橋に並んだ。プラカードは住民投票を呼びかけるシンボルとして使われたもので、当時は自発的にプラカードを掲げる人たちの姿が市内各所で見られた。


目の前を通り過ぎていく車の反応を観察すると、にこやかに反応してくれる方、物珍しいそうに見返す人、忙しそうに走り去る人、様々だった。
当時も同じだった。
この日、かちどき橋に集まった人たちの中には20才未満の方も多く、はじめてプラカードを掲げる人も少なくなかった。
イベントの告知効果がどれだけあったのかはわからないが、当時を知る人の「あの頃の経験を若い人に引き継げたことが嬉しい」というつぶやきに、未来の希望を感じた。

徳島市での住民投票に関わった人たちは、昨年2月に沖縄県で実施された県民投票にも無関心ではなかった。引き継がれていく様々な思い。
来月、ふたつの地を結んで、ひとりひとりが主人公のお祭りが開催される。
ぜひ、徳島に。