父娘とチームメイトで勝ち取った金メダル

– 2019.11.14 –


10月上旬、石木川のほとりに暮らす18才の女子高校生がソフトボールで日本一に輝いた。

長崎県佐世保市にある九州文化学園高等学校へ通う川原ほのかさんは、県代表のピッチャーとして茨城県で開催された「いきいき茨城ゆめ国体」に出場。
チームのエースとして背番号1を託されていた。

試合は順調に勝ち進み、福井県との決勝では〈0対0〉で迎えた5回表から登板。
5回裏に長崎県は1点を先取。
ほのかさんは最後まで全力で投げきり、相手打線を無失点に抑えてチームを優勝に導いた。
少年女子の部で長崎県が優勝するのは2年ぶり、3回目のことだった。
過去2回の優勝は引き分けだったため、今大会で初めての単独優勝となった。
翌日の地元紙はソフトボールの優勝を讃え、一面にはチームメイトが抱き合って喜ぶ写真が掲載された。

選抜メンバーには、ほのかさんのソフトボール部だけでなく、6月の県大会決勝で戦った長崎商業高等学校の選手も選ばれていた。
県内では強豪校同士のライバルだが、国体ではチームメイト。
お互いの力を認め合ってきた間柄だからこそ、優勝という目標に向かってひとつになれたと、ほのかさんは振り返っている。

ほのかさんがソフトボールに興味を抱いたのは小学5年生になってからで、高校時代に野球部で甲子園を目指していた父・伸也さんの影響もあった。
小学校のソフトボールクラブに入会したほのかさんに伸也さんはグローブをプレゼントし、二人三脚での練習がはじまった。
伸也さんも硬球とは違うボールの感覚に慣れるところからはじめ、ふたりでボールを投げ合う時間は徐々に増えていった。


3人きょうだいの長男として育った伸也さんは、東京への憧れから22才の時に上京。
妻の恵美子さんとは東京で知り合い、2002年10月にふたりは結婚し、長女のほのかさんが誕生した。

都会は刺激的で魅力に溢れていたが、一方で、故郷の自然が恋しくなることもあった。
家族が3人になってからは、自然のなかにいる方がくつろげ、リラックスできた。
休日には小さな娘を抱いて郊外の公園へ出掛け、山や樹木に囲まれた。
秋田県河辺町出身の恵美子さんも伸也さんと同じ気持ちだった。

「故郷におった時はわからんかったけど、東京はビルやネオンばっかりで、星さえも見えないのかと驚いた」と伸也さんは笑う。

都会では遠出しないと自然のなかで遊べず、次第に物足りなさが募っていった。
そして自然が身近にあるところで子育てがしたいと強く思い、伸也さんは2006年に家族を連れて帰郷した。


ほのかさんが地元中学校のソフトボール部でピッチャーになると、伸也さんは自宅横の空き地にマウンドをこしらえ、休日はもちろん、平日でも仕事から帰るとほのかさんとボールを投げ合った。
専門書や一流選手の映像から投球フォームを学んでは、ほのかさんにアドバイスし、暗くなっても投光器で照らして練習を続けた。
当時はまだほのかさんに実績はなかったが、伸也さんはこの頃から「一緒に日本一になろう」と言い続けていた。
練習が終わって夕食を食べている時でさえ、親子で交わす会話の大半はソフトボールのことだった。

ふたりの練習光景を見かけた人からは「そんなにがんばってプロにでもなると?」といった言葉を投げ掛けられ、熱心に練習する姿を揶揄されたりもした。
それでも伸也さんは恥ずかしがることなく「県代表を目指す」と言い続け、娘の努力を誇った。
根拠や自信があったわけではなかったが、高い目標を掲げることで、ほのかさんのやる気や能力を引き上げられると信じていた。
ほのかさんも挫けたり諦めたりすることなく、少しでも上手くなりたいとの思いから伸也さんとの練習を続けた。


東京から川棚町川原(こうばる)地区にある実家へ戻った伸也さんは、自宅のまわりに広がる何気ない自然に改めて感動し、豊かさを実感したという。
中学からは野球に夢中となったが、少年時代は川や山が遊び場だった。
ソフトボールの練習を終えると、ほのかさんと次女のななみさんを誘い、川で遊ぶこともあった。
5月下旬には石木川の上を飛び交うゲンジボタルを眺めるのが家族の恒例だった。
東京で暮らしたことで、川原地区の素晴らしさに気づくことができた。

「ガキの時にオイが遊んだそのまま残っている。オイの子どもがそこで遊んでいる。そげん場所があるって素晴らしいと思いませんか」

伸也さんが小学5年生だった時、長崎県は機動隊を連れて石木ダム建設のための強制測量を強行した。
伸也さんも頭にハチマキを巻き、親たちに混ざり、近所の子どもたちと一緒に測量阻止の座り込みに参加した。
機動隊員らが力と数で住民たちをごぼう抜きするたび、あちこちで怒鳴り声と叫び声があがった。
静かだった故郷の景色が壊されていくように、伸也さんには見えた。
親しい大人たちが怒りに肩を震わせ、女性たちが涙を流していた。
目の前の光景は作りものではなく、現実だった。
おぼろげながらの記憶では、伸也さんも大きな大人たちに担がれ、大声で泣きながら座り込み現場から排除された。

「今は故郷と子どもを守ろうとした人たちの気持ちがよくわかる。この環境ば次の世代へ残していくことが大人として、親としての役目だと思う。あんなことはもう二度と起こしたくはなかですし、子どもに味わわせたくはなか」

・職場のソフトボールチームでプレーする伸也さん


川原地区に暮らす13世帯約50人は今年9月19日、長崎県知事と面会するために県庁へ向かった。
知事が正式な場で地権者と会うのは5年ぶりだった。

伸也さんも家族全員で県庁へ足を運び、面会の場で知事へ思いをぶつけた。
話せば自分たちの気持ちが幾ばくかは伝わるだろうと、その時は信じていた。

石木ダムは立案から半世紀もの月日が経ったが、県は現在も推進の立場を変えていない。
この間、社会情勢は大きく変化しており、当初の建設目的だった利水の必要性は薄れている。
しかし県は計画の見直しをせず、水没予定地とされる土地に暮らしている13世帯の住居や農地を強制収用する手続きを進め、県収用委員会は5月21日に強制収用を認める裁決を出していた。
面会日の19日は、強制収用の対象となった地権者の土地所有権が消滅し、土地の登記が国へと書き換えられた日でもあった。

伸也さんに続いて、ほのかさんも自分の言葉で知事に思いを伝えた。

「私は母、妻、娘ふたりの5人家族です。今年3月に父を亡くしました。今住んでいる家は、亡くなった祖父、祖母、父とのたくさんの思い出が詰まっています。強制収用された場所は子どもたちと魚を捕ったり、川で泳ぎの練習をしたり、散歩や虫採りをした山と、たくさんの思い出が川原(こうばる)には詰まっています。どうか、強制収用を取り消してください。親として、娘たちに川原を残してあげたい。残してあげてください。知事!石木ダム建設の見直しをお願いします」

「おはようございます。やっぱり一番は石木ダムを造って欲しくないということです。ここにいる川原の皆さんは川原が本当に大好きです。今、環境問題のなかで森林の破壊も問題となっています。なのに川原の自然を壊して、私たちの故郷を奪ってまでダムが本当に必要なのか、しっかりと考えるべきだと思います。将来、私自身に家庭ができて、子どもたちにこの川原の自然を、川原の自然の素晴らしさを教えてあげたいです。だから、私たちの大切な故郷である川原を守りたいです」


マウンドで度胸が鍛えられたこともあり、ほのかさんは声を詰まらせることなく、知事を見すえながら手紙を読み終えた。
手紙は出発前、自宅で自身が考えて書いたものだ。
だが知事は、ほのかさんの顔を見上げることなく終始うつむき、メモをとる姿勢を続けていた。
伸也さんはそのような知事の姿に腹が立ち、怒鳴りたい衝動を抑えていたと打ち明けた。

「娘が『ダムを造らないでください』と言いながら知事に手紙を渡した際、知事は目を合わせなかったですよ。話をしている時も、ずっと下を向いていた。いったい、どんな思いでオイどんたちの話を聞きていたのか。まったく誠意が感じられなかった。子どもたちは勇気を奮い立たせてあの場で発言したのに『大人の態度としてどうなんだ』と、怒鳴りたかったぐらいです」

ほのかさんも知事の態度から「ちゃんと伝えないといけない」という思いが軽んじられたように感じ、ガッカリしたという。

知事は面会直後のぶら下がり会見で事業推進の姿勢に変わりはないと発言し、県庁へ出向いた地権者たちを大いに失望させ、呆れさせた。


川原家の玄関には小さな黒板が置かれている。
伸也さんがその時々の目標を書き込むために購入したものだ。

「玄関にあるからぜったい見るし、見るたびに頑張ろうと思った」と、ほのかさんは言う。

今年6月に開催された県大会直前。
ほのかさんは左足の膝が疲労骨折し、監督から大会本番まで投球練習を禁止された。
県大会は高校のチームメンバーで挑む最後の舞台だった。
本番まで調整が間に合うか、不安な日々を過ごしていたほのかさんに、伸也さんはいつもと同じように接し、これまでの努力を称え、何も問題ないと繰り返し伝えた。
黒板に書かれた父からのメッセージを目にするたび、ほのかさんは勇気づけられ、不思議と安心することができた。

そして迎えた県大会では、ライバルの長崎商業高等学校を決勝戦で2対0で破り、優勝を勝ち取った。
怪我を乗り越えての力投だった。


川原地区の住民もほのかさんの活躍を知るたび、我がことのように喜び、祝福をあげていた。
県大会での優勝に続き、選抜メンバーとして出場した国体での優勝は、石木ダムの関連工事現場で連日座り込みを続けている地権者を励まし、暗くなりがちな雰囲気を明るくさせた。

「お父さんや家族のサポートがなければ、ここまでのピッチャーにはなれなかった。諦めずに続けてきて良かった。そして私たちの活躍がみんなを勇気づけたとしたら、日本一になれて本当に嬉しいです」 と、ほのかさんは川原地区の住民であることを誇っている。


11月18日は強制収用の対象となった住居の明け渡し期限日とされ、川原地区に暮らす13世帯全てが対象となっている。
これまでダム建設による強制立ち退きの実施例はないが、県は行政代執行の可能性を否定しておらず、地権者が抱える不安はさらに高まることが危惧される。

伸也さんは「オイたちは立ち退くつもりはなく、ここに住み続けるだけたい」と、県との交渉には応じない考えだ。
土地や住居の賠償金は他の地権者と同じく受け取りを拒否していることから、法務局に供託されている。
腹をくくった力強さで、伸也さんは言う。

「オイたちが反対するのは金じゃなか。必要性がなくなったダムのために、ここを壊して欲しくないだけ。こんな良かところはなかでしょ。ほのかとボールを投げ合った場所は家族の宝物。この先、娘たちは自立し、結婚するかもしれないが、孫とここでキャッチボールするのがオイの夢たいね」

石木川のほとりでは太陽に照らされたススキの穂が金メダルのように眩しく輝いている。