語り継ぐ意味

– 2019.8.6 –

広島市に原爆が投下されてから今日で74年が経った。
NHKで中継された広島での式典の様子を入院先のベットで視聴し、雨のなかでもにぎやかに響き渡るクマゼミの鳴き声を聞いた。

今年5月に長崎県へ向かう途中、広島市に立ち寄った。
そこで4月にリニューアル公開されたばかりの広島平和記念資料館を訪れた。
その感想を書きたいと思う。

平和記念公園の川向こうにある中國新聞社前のパーキングに車を預け、午前11時頃に資料館へ到着。
チケットの販売窓口には外国からの個人及びツアー客が並んでおり、館内は小中学生の団体客でにぎわっていた。

資料館は大人になってからこれまで何度か訪ねたことがあった。
広島で起きたことや原爆の被害はどのようなものだったのかを知りたかったからだが、そのほとんどが出張のついでだったと思う。
市内のホテルに泊まるたび、平和記念公園を歩き、原爆ドームを見上げ、時間に余裕がある時は資料館を訪ねていた。



以前の展示と比べ、リニューアル後の展示は〝写真の力〟を上手く活かした空間になっていた。
展示がはじまる導入部分には焦土と化した広島の街や原爆投下前に撮影された子どもたちの笑顔が並び、遺品等を中心に展示する本館入口では傷ついた少女が来館者を見つめていた。

大きく引き伸ばされた写真は鑑賞のためではなく、当時の空間を感じさせる目的のために使われているのだろう。

3時間ほどかけて館内を丁寧に見て回った。


改装後の展示は〝個〟に重きが置かれており、被爆者の人生や当時の状況が遺品などとともに展示されている。
遺品に添えられている解説文に目を通していくと、会ったことのない人であっても、生きている時の姿が目に浮かんでくるようだった。

70年以上の月日が経っても展示されている遺品ひとつひとつが生々しく、持ち主や提供者の思いを想像させられた。

みながみな、原爆が原因で亡くなった…。

時を越えて、その事実の重さに胸が苦しくなった。
どんなに辛く悔しかったことだろうかと。


館内でひとりの女子中学生が声を上げて泣いているのを見かけた。
まわりにいたクラスメイトのなかには、彼女の肩を抱きかかえて慰める生徒、大丈夫と声をかける生徒、心配そうに見つめる生徒、少し離れたところから茶化す生徒などがいた。
なにを思って彼女が泣いたのかはわからないが、彼女もまた展示が伝える事実を想像し、その現実に辛くなったひとりかもしれない。

たったひとつの原子爆弾によって多くの人が亡くなった。
資料館で紹介されている犠牲者は被爆者のほんのひと握りに過ぎないが、とつぜん命が失われたことに言いようのない恐怖を感じた。

二度と同じ悲劇は起こしてはいけない。
リニューアル後の展示は、そのことを強く訴えかけているように思えた。


館内を見終わってから、ひとつの違和感を感じた。
その違和感は自分の勘違いや見落としからくるものではないか…。
そう思い、再び最初から展示を見てまわった。

そして全ての階にある展示を巡り終えると違和感の理由がわかり、やるせない気持ちになった。

日本は唯一の戦争被爆国である。
広島市と長崎市では、原爆投下から数ヶ月以内に亡くなった一般市民はあわせて20万人以上にのぼり、さらにそれ以上の方々が後遺症に苦しみ、この世を去った。

資料館の中には核兵器廃絶の実現に向けた日本や広島市の取り組みを紹介する展示が一切なかった。
核兵器を説明するコーナー最後で「核兵器廃絶へ向けた世界の動き」は若干紹介されているものの、核兵器のない未来を築くためのメッセージはどこにも書かれていなかったのだ。

そのことを疑問に思い、館内を案内するピースボランティアの方に質問すると、ボランティアの中でもこのことをおかしいと思う方が少なくないという。
いまの広島市政は平和宣言でも政府に対して弱腰だと、ボランティアの高齢女性は残念そうに言った。


広島で起きた悲惨な事実や原爆の非人道性、突然奪われた命の重さを資料館で知ることで、核兵器のない未来を思い描きはじめる人は少なくないと思う。
犠牲になられた方々や被爆によって苦しむことになった方々の存在を忘れずに語り継いでいくことも資料館の大切な役目だが、同じようなことを再び地球上で起こさないために、核兵器廃絶の道筋(ビジョン)を資料館は示すべきではないのか。


資料館の一階、展示を見終わった人が休憩するスペースの一角に《「核兵器禁止条約」の署名・批准の現状》がわかる世界地図がひっそりと掲示されていた。
日本は米国などと足並みを揃え、国連で採択された核兵器禁止条約に反対の立場をとり続けている。
世界地図にはそのことについて説明する文章は見当たらないが、賛成・批准した国に記されているマークが日本にはない。

なぜ原爆被害の実情を知らせる資料館に、未来への道しるべがないのか。

政府に遠慮する姿勢は、この地で亡くなった犠牲者のためにはならない。
理想でも構わない。
遺族から遺品を預かった者の責任として、誰もがわかる場所にビジョンを掲げるべきだと思う。

平和記念公園で本日開催された式典で、広島市長の松井一実氏は『日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい』との文言を平和宣言に盛り込み、これまでの方針から一転、政府に条約批准を促した。

平和宣言【令和元年(2019年)】

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/index.html

朝日新聞の記事によると被爆者団体などが平和宣言で国の方針をただすよう松井市長へ要請文を提出。
松井氏は「受け止めないわけにはいかない」と述べたという。

広島市が世界に向けて核兵器禁止条約への署名・批准を求めることは、とてもしぜんで至極あたり前のことだと思う。
ぜひ今後は資料館に、そのためのメッセージやビジョンを掲げて欲しいと願う。


原爆ドームの正面に置かれた慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」という言葉が刻まれている。

資料館を訪れるのは大人だけでない。
世界中から多くの子どもたちも訪れる。
彼らに核兵器のない未来を示し、二度と悲劇を繰り返さないためのビジョンを伝えることは、我々大人たちの責任だと思う。