ひとりひとりが考えた日のこと

– 2019.2.3 –

19年前の1月23日、吉野川に計画された可動堰の賛否を問う住民投票が徳島市で実施されました。
この徳島市での住民投票は、国による大規模公共事業を問う住民投票では初めての試みであり、実現には幾たびの壁があったと記憶しています。

住民投票を求める「第十堰住民投票の会」が投票実現のために住民投票条例を求める署名集めを開始したのは1998年のこと。
直接請求に必要な署名数は有権者の50分の1ですが、投票の会は1ヶ月間の署名収集期間に10万を超える署名を集め、1999年1月に徳島市議会へ提出しました。
当時の徳島市有権者数は約21万人だったので、有権者のほぼ2人に1名が署名したことになります。
しかし市議会は賛成16・反対22で、市民が求めた条例案を否決しました。

市議会での否決は、住民投票を求めてきた多くの市民が落胆し、議会と市民との考え方の違いに違和感を抱くきっかけとなりました。
住民ひとりひとりが当事者となって計画の是非を問うこと、そのことを議会は否定するのかと…。

それでも住民投票の実施を求めてきた住民グループは諦めませんでした。
その年の春に行われた市議会選挙に5人の候補者を擁立し、市議会での条例提出に賭けたのです。
初めて立候補する方がいるなど手探りの選挙戦でしたが、3名の候補者が当選し、市議会の構成が逆転。
住民投票賛成派が上回る結果となったのです。
その後、いったんは住民投票に前向きだった公明党議員らの態度急変などによって実現が危ぶまれましたが、彼らが求めてきた「投票率50%以下は未開票」という修正案を受け入れることで、住民投票条例が市議会で可決されました。

投票当日は朝から冷たい風が吹き、ときおり小雪が舞う寒い一日でした。
徳島市内には投票日である〈123〉と書かれたポスターがあちこちに貼られ、幹線道路にはポスターを掲げて投票を呼びかける人の姿がありました。
投票の会の世話人のひとりである姫野雅義さんを乗せたバンを運転中、住民投票の成功を願っている多くの人の姿を見かけるたびに感動していたことをいまもはっきりと覚えています。


 
今月24日、沖縄県で名護市辺野古の新基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票が実施されます。
こちらも紆余曲折あり、投票が実現されたものです。

徳島市と沖縄県とでは、投票が問う内容や背景に違いはありますが、その土地に暮らす有権者ひとりひとりが当事者として判断できる良い機会であることは変わりません。
余計なお節介ではありますが、沖縄県にお住まいの有権者の方は、ぜひ意思を示めしてください。

徳島市での住民投票は投票率が50%を超え、可動堰の反対票が90%を占めました。
多くの市民がそのままの吉野川を望んだ結果、いまも吉野川は昔ながらの姿で流れています。


 
上記を書くにあたって徳島市での住民投票を近くで支えてきた武田真一郎先生による以下URLの文章を参考にさせていただきました。実現までの経緯がわかりやすく記されています。
https://www.jstage.jst.go.jp/…/jpas…/2000/18/2000_18_35/_pdf

徳島市住民投票に関わってこられてきた方々が勝手連として沖縄県民投票を応援する取り組みも始まっています。
以下にその取り組みを紹介する新聞記事のリンクを記しておきます。
興味のある方はぜひ読んでみてください。

朝日新聞)住民投票で計画中止 吉野川の先例が沖縄に伝えたいこと
https://digital.asahi.com/articles/ASM1Y7H1QM1YPTIL02V.html…

徳島新聞)吉野川第十堰の経験を辺野古へ 住民投票の会有志が「応援の会」 
https://www.topics.or.jp/articles/-/154829

琉球新報)投票し現状動かして 徳島の市民ら 那覇でPR
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-868925.html