14 − 行き場を失った廃棄物の処分進展せず

菅野伸一さんが自宅近くの仮置き場を案内してくれた。もともとは畑だったが、地区内の除染廃棄物などを一時保管する場に造成。仮置き場が見つからない地区は除染作業が遅れがちだ(2012.11.28)

給餌を禁じられた飼料は放置せざる得ない

東京電力(株)福島第一原発の事故から3年が過ぎようとしている現在も、放射性物質に汚染された飼料作物や堆肥、除染作業で発生した「除染廃棄物」の処分が進展していない。除染廃棄物は主に福島県内に集中しているが、行き場を失った汚染飼料などは県境を越えて各自治体が頭を悩ませる存在となっている。原発事故が引き起こした問題は多岐にわたり、廃棄物の扱いだけを見ても今なお解決できていない問題が山積している。

国は福島第一原発の事故以降、放射性セシウムに汚染された廃棄物について1kgあたり8,000ベクレルを越えないものに関しては、一般廃棄物と同等の焼却処分や埋め立てができるように法改正を行っている。各自治体が抱えている汚染飼料の大半は低レベルの汚染であり、福島県を除くと8,000ベクレル超の飼料はほとんど発生していない。それにもかかわらず、基準値を上回った牧草や稲わらなどの汚染飼料、堆肥などが行き場を失い、放置されている状況が続いている。

環境省によると8,000ベクレルという基準は、埋め立て処分をしたとしても周囲の追加年間放射線量が0.01ミリシーベルトを越えず、廃棄物を扱う作業員が年間1000時間作業した場合でも1ミリシーベルト以下の追加年間被ばく線量に抑えられる数値だという。そのため本来であれば一般廃棄物との混合焼却処分で問題解決となればいいのだが、焼却施設の処理能力に余裕のない自治体が多いことから、焼却処分はこれまで全体のごく一部が行われたにすぎない。さらに宮城県のある自治体担当者は焼却が進まない理由のひとつに「焼却施設周辺の住民から理解を得るのが難しい」ことも一因にあげた。”燃やしても安全”と国がお墨付きを与えても、不安の解消には依然厳しい状況が続いているのだ。

最終処分地候補地の指定除外を求める

8000ベクレルを越えるものに関しては「指定廃棄物」として国が責任を持って処分することが定められ、焼却で放射性物質が濃縮された焼却灰も1kgあたり8,000ベクレルを越えると指定廃物物となって”放射性廃棄物”として扱われる。

国が2012年に「指定廃棄物の今後の処理」で示した方針では、宮城・茨城・栃木・群馬・千葉の各県に関しては、それぞれに最終処分場を新設し県内で発生した指定廃棄物はそこで処分を行うことになっている。しかし原発事故から3年がたってもこれら各県で最終処分地が決定したところはなく、現状では候補地すら白紙の状態にある。

環境省は2014年1月、宮城県知事にはじめて最終処分場の候補地を提示したが、突如名前が上がった栗原市・加美町・大和町は強く反発している。国は3市町の了解を得られ次第、候補地となった国有地にて地盤や環境に与える影響調査などを行い、最終的に1ヶ所に絞り込む予定だという。しかし3市町は国の調査でさえ難色を示し、降って湧いたような”迷惑施設”の受け入れは新たな風評被害を起こしかねないと計画反対の姿勢を示している。

加美町は2012年度に町有放牧地へ汚染牧草の一時的な集約保管を決断した実績があるが、その保管事業ですら住民の不安が払拭できず、結果として継続受け入れを断念せざる得なくなった。この経験から「町が最終処分地を受け入れることは絶対に不可能」と、汚染飼料の保管を担当した役場職員は言い切っている。また加美町にある農協や商工会など地元42団体は処分場建設に反対する会を設立。町議会も全会一致で「候補地から除外するように求める意見書」を可決している。栗原市や大和町の議会でも最終処分場に反対する意見書が全会一致で可決され、3市町すべての議会が計画に反対を意志を示している。環境省は2012年に茨城県と栃木県へも候補地を提示しているが、その際も予定地を含む周辺自治体から厳しい反発を受け、現在まで実地調査の実現には至っていない。

基準値を超える放射性物質が検出され、給餌されることなく放置されている牧草ロール。処分は各農家任せとなっている地域も珍しくない(2012.11.28)

農家任せや仮置き場での一時保管が続く

8,000ベクレル超の汚染飼料、堆肥などは国が責任を持って処分することが定められているにもかかわらず、現状では農家任せとなっているところが少なくない。農家が所有する耕作地や敷地、集落の話し合いで決めた仮置き場での一時保管が続いているのだ。

福島県伊達市霊山町で菅野忠信さん(76)が始めた酪農経営を継いだ息子の伸一さん(53)も、その1人だ。相馬市玉野との境にある菅野牧場は、福島第一原発から直線で約40km。阿武隈山地の開けた土地に自宅や牛舎があり、乳牛を約50頭、うち搾乳牛37頭前後を飼養。原発事故前は約24ヘクタールの草地を耕作し、繁殖用和牛を合わせて70頭の牛の飼料をほぼ自給で賄っていた。

自宅周辺は伊達市の中でも放射線量が高く、2011年6月には「特定避難勧奨地点」に指定されている。この指定は年間積算線量が20ミリシーベルトを超える地域が対象となる。避難指示や農業を含む経済活動の規制は行われないものの、放射線防護の理由から妊婦や児童の避難に際しては国の支援が得られる特別な地点とされ、行政区ではなく住居単位で指定が進められた。その後、自宅や牛舎周囲の除染が伊達市によって実施され、放射線量が下がったことを理由に2012年3月末に指定は解除となった。

伊達市の特産品である柿からも基準値を超える放射性物質が検出された。現在は農家の努力もあって検出値も下がり、出荷制限は解除となっている。出荷制限時は収穫期を過ぎた柿が果樹園に放置されていた(2012.12.16)

ここにあるうちはお宅の責任なんだよ

福島第一原発から風に乗って運ばれた放射性物質は菅野牧場が所有する耕作地を汚染し、2011年6月に収穫した1番草からは県内でも高いレベルの放射性物質が検出された。自主的な検査では1kgあたり3万ベクレルを超える汚染だったという。2番草や3番草も給餌可能な基準値を大きく超え、2011年度は収穫量がゼロとなった。忠信さんが原野を開拓し規模を拡大しながら伸一さんへ引き継いだ大切な土地が「たった一度の原発事故によってめちゃくちゃにされた」のだ。伸一さんは怒りを表情に表さず、淡々とした口調ながらも、悔しさをにじませながら当時の苦労を語ってくれた。

「自給飼料の給餌が禁止されたころの餌不足は深刻で、飯舘村の酪農家から前年に残った牧草を譲ってもらうなどして乗り越えた。宮城県の丸森町へも餌を買いに行った。北は北海道、南は種子島から送っていただいた支援牧草ロールを受け取ったりもした。息子が仕事を手伝いだして数年になる。孫の代まで牧場や畑を残したい。だから汚染された草地の表土を何度も削り、不検出を目指している」

原発事故前、市内の果樹農家へ販売していた堆肥は1kgあたり400ベクレル以上も汚染され、販売することも自家利用することもできない”廃棄物”となった。自給飼料の給与をやめて購入飼料に切り替えた後も堆肥は売れず、たまっていく一方だという。「果樹農家も堆肥は必要だが、完全に不検出ではないと買ってくれない。気持ちは痛いほどわかる」

基準値を超えて給餌ができなくなった自給飼料は2011年だけで300tを超え、さらに利用できなくなった堆肥が山のように残っている。

「事故後に耕作している草地では、福島県内で一番高い放射線の数値が出たんだ。だけど避難区域にもならず、正直な話一番ひどいんじゃないかとも思った。敷地は限られるので、使えなくなった牧草などは地主の許可を得て自分の畑に置きっぱなしになっている」

フレコンバックに詰められた汚染牧草や堆肥は1,600個を超え、それらは菅野牧場の牧草地に今も置かれている。少し離れた場所に周辺住宅の除染廃棄物を一時保管する仮置き場があるが、そこでは”土地借用”という名目で地主への賃料が支払われている。にもかかわらず、菅野牧場の場合は指定廃棄物も自家保管という扱いで、保管に当たって行政から継続的な補償は一切ない。市の担当者からは「ここ(菅野牧場)にあるうちはお宅の責任なんだよ」と言われ、置き場の提案もないまま、3年が過ぎようとしている。

(続く)

*年齢は当時(記事執筆は2014年2月)