泡盛の香りに。

友人から古い50CCのスクーターを貸してもらい、沖縄本島南部にある県営平和祈念公園の「平和の礎」へ出かけた。
本島南部に点在している戦跡は何度か訪ねたことがあった。
だけど、これまで平和の礎だけは足を運んだことがなかった。
今月23日に催された「慰霊の日」の式典に関する報道を見たばかりということもあり、どのようなところなのか見てみたいと思った。
フルスロットルでも時速35キロが精一杯のスクーターだけど、行ける時に行こうと那覇から向かった。

車だとあっという間に着いてしまう距離。
だけど、今日は少し違った。
後続車に気を遣いながら、ノロノロと走った。
しかし、これはこれで発見が多かった。
地面の起伏がダイレクトに感じられ、平坦だと思っていた道がゆるやかな丘の繰り返しだと気づいたり、駆け足では見逃してしまうささやかな景色に見惚れたりもした。

そして何度目かの丘を越えた瞬間、目の前に海原が飛び込んできた。
沖縄らしい眺め。
珍しくもない見慣れた景色。
でも、今日はやっぱりいつもと少し違って見えた。

海が陸の終わりを告げているように思えた。
72年前、砲撃や戦闘から逃げるために南へと向かった多くの人たちは、この海を前にしてどのような思いを抱いたのだろうか。

目指す公園は、その陸の端にあった。

平和祈念公園の広い駐車場には数台の車しか停まっていなかった。
日がだいぶ西へ傾き、売店も店じまい。
公園内の人影もまばらだった。

スクーターを売店横に停め、まっすぐ平和の礎へと歩いて向かった。

途中、綺麗に刈り揃われた芝生広場を横切り、案内表示からその場所が先日開催された祈念式典の会場だと知った。
思ったよりも広い。​
幾十も並ぶ、たくさんの名前が刻まれた石碑はその先にあった。

那覇を出発前、ひいおじいちゃんの名前も刻まれていると友人が教えてくれた。
石碑の名前は出身地ごとに分かれ、友人のひいおじいちゃんは那覇市だったという。

公園に着く前までは、すぐに見つかると思っていた。
でも、個人的関心から探してみると、那覇市内だけでも複数の石碑があり、探すのは容易なことではなかった。
名前が多すぎた。
それでも目でひとつひとつ名前を追い、探していった。

石碑に刻まれているのは、沖縄戦などで亡くなった24万人を超える方々の氏名。
性別や年齢、出身地や国籍、軍人や民間人を区別することなく、ひとりの人間が戦争で亡くなった事実を刻んでいる。

ふと、泡盛の香りを嗅いだ気がした。
最初は気のせいかと思った。
でも、また匂いを感じた。
あたりを見回し、その香りが勘違いでなかったことを確認した。

少し離れた石碑の下に、献花とともにコップに注がれた泡盛が置いてあった。
コップはふたつあった。

故人の隣に小さな花が貼り付けられている石碑もあった。

刻まれた名前は文字の羅列ではなく、人格を伴った生きた証なんだと、この場所を訪ねた方々に教えられた気がした。

友人のひいおじいちゃんも、ちゃんと名前が刻まれていた。
名前がカタチある存在に思えて仕方なかった。

礎は戦争の恐ろしさや悲惨さを伝えるとともに、たくさんの方々がこの島で生きていた証なのだと思った。
手を合わせ、今につながる奇跡に感謝した。

2017年6月25日