二度失われる故郷のこと

4年前の今日、福島県大熊町から会津若松市へ避難しているふたりの女性と一緒に彼女たちの自宅へ出かけました。

月に一度しか許可されない一時帰宅への同行。

彼女たちとは少し前に知り合い、一時帰宅する際は声を掛けて欲しいと伝えていました。

Oさんの自宅は大野駅に近い住宅地にあり、Nさんの自宅は福島第一原発から3kmも離れていないところにあります。

まず先にNさんの自宅へ立ち寄り、お墓に花を添えてから、Oさんの家に向かいました。

当時は国道6号も通行解除となっておらず、行き交う車はほとんどありませんでした。

一時帰宅するたびに片付けをしていたNさんと違い、Oさんの住まいは「荒れた家を見ると地震で散らばった物を片付ける意欲もわかない」と、地震で崩れた家財道具などがそのままになっていました。

ネズミの糞も目立ち、Oさんは終始ため息ばかりついていたのを覚えています。

この日、Oさんが自宅に帰ってしたことは、庭に粉末の除草剤を撒いたことと、居間でみつけたネズミの屍骸をゴミ袋に入れたことだけです。

道中、除染廃棄物が詰められたフレコンバックが道路脇に積み上げられているのを見かけ、何気ない気持ちで「ずいぶん増えてきましたね」とNさんに話し掛けたところ、Nさんの表情が厳しくなりました。

Nさんの自宅や農地、先祖の墓地は除染廃棄物を保管する「中間貯蔵施設」の予定地になっています。

これらフレコンバックを何処かが受け入れないことには前に進まないことを理解しつつも、感情がついて来られず、割り切れない思いでいるのだと、そんな話をしてくれました。

故郷を二度失う人たちがいること、その人たちの犠牲があって前に進めること、これは多くの人が共有するべきことだと、この一時帰宅で強く感じました。

以来、安易に「除染廃棄物はどこどこへ持っていけばいい」と口にすることは止めました。

事故を起こした福島第一原発周辺には帰りたくても帰ることができない家があり、離れて暮らさざる得ない人々がいます。

この事実は4年経った現在もそう変わっていません。

2017年3月25日