骨のかけらと故郷への思い。

長崎県が計画を進めている石木ダム事業の是非を巡る議論は、右や左といったイデオロギーとは無縁のもので、計画に反対している住民の思いは党利党略とはかけ離れたものです。
社会情勢が計画立案当時から大きく様変わりした現在、莫大なコストをかけ、13世帯の家屋や土地を強制収用してまで計画を進める「大義」が果たしてあるのか…。
計画地に暮らす住民はその大義の中身を公平な場で話し合うことを求めているだけです。

昨年、石木ダムの計画地を訪ねた際、この地で親子3世代で暮らしている炭谷さんが仏壇にある過去帳を見せてくれました。
過去帳は宝暦三年、今から260余年前に亡くなった先祖から始まっており、先祖代々に渡って受け継がれてきたものです。

この時、炭谷さんが古い先祖の墓を掘り起こしてひとつにまとめる「墓寄せ」のエピソードを話してくれました。
墓寄せは父の遺言「先祖と一緒に供養して欲しい」という願いを叶えるために12年前に実施。
苔むした墓標の下から掘り起こされた骨を拾い上げるたびに、炭谷さんは過去帳に記された先祖が近しい存在に思えてきたそうです。

「彼らがいたから、オイたちがいるんだ」

骨のかけらを手のひらにのせるたび、炭谷さんは理屈ではなく感覚としてしぜんと先人への感謝の気持ちが湧き上がり、先祖の存在を強く実感。

「オイの代でここを水の底にするのは堪えられん」と、土地を預かる責任の重みに改めて気付かせたといいます。

都市で生まれ育ったオレ自身は故郷意識が希薄ですが、次世代への責任を果たしたいとの考えに深く共感しました。
故郷を守り残したいと願う気持ちはイデオロギーではなく、普遍的な大切な感情です。